「『何かのために』は聞こえは良い。
でも時に思い上がっているようにも思える。
人間関係においても言えることだが、
誰かの『ために』やろうとすると厄介な問題になることがある。
しかし、誰かを『思い』何かをすることには、
見返りを求めることもなく、
そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う」
(イチロー)
一昨年くらいからかなぁ。
みんなのために。
とか。ましてや
あなたのために。
とか言われたり聞いたり,
うっかり口から出してしまったりすると,
嘘つけ!
と、攻撃的になる自分がいまして。
「~のために」
がどうにもこうにも、生理的に受け付けない。
都度違和感に身悶える日々が続いていてたんですよ。
最近気付いたその理由はふたつ。
ひとつは、実は自分の欲求を満たす為なのに、
その言葉を隠れ蓑にして、
ワタシ奉仕しているアピールに対する嫌悪。
だって本当にみんなの為。
あなたの為って思ってたら、
わざわざそんな言葉を口に出す必要ないはずだし。
あともうひとつは誰かの為に。って、
見返りを求めてしまいやすい心理状態で、
自分がついそういう傾向に心が動きやすいから反応していたということ。
去年インドに行ったとき、
トレーニング初めに出てきた私のテーマが、
Perform Anonymous Acts of Kindness
優しさの名もなき行為を行いなさい
↓
見返りを求めない行為を行う
でした。ヨーガには大きく4つ種類があって、
そのうちのひとつ、
見返りを求めない無私の行動(奉仕)を積み重ねていくことよって、
解脱に至る道をカルマヨーガといいます。
カルマとは行為とその結果のことです。
そんなわけでトレーニング中、
見返りを求めない行動を心掛けていたのですが、
いや、難しいのです。
つい行動の反応結果を予測して、(求めてしまって、)
そこで予想外の結果が返ってきたりすると、
自分に都合のいい方なら「やったー!」
自分に都合の悪い方なら「ちがうのに・・・」
って。
良い方でも悪い方でも大なり小なり心は揺れ動きます。
どちらも自分の行動・結果ということには変わりないのに。
目の前のことを、支配する(している)という思い上がり・思い違いなしに、
ただ謙虚に事象に向き合い、淡々と行為を積み重ねる。
そのうえで結果がどのようなものであったとしても、
必要以上に心を動かさず受け入れられる状態でありたいなー。
と、思います。
この練習、目下継続中。
昨日フェイスブックで、
阿部首相が上記のイチローの言葉についてコメントされていました。
それがとても心に響きまして、
イイね!だけじゃ物足りず、
ブログにも転載させていただいた次第です☆
さて、それでは今日も喜びに満ちた一日を過ごしたいと思います
皆様もよき一日を~!
Love
FUKUKO