「ヨガはカラダを忘れるためのもの」
以前、菅野美穂のインドの旅DVDで、
上記のコメントをヨーガの先生が仰っていました。
だから、というわけではないのですが、
気付けばインドに行く毎に彼女のクラスを受けています。
リシケシ滞在中はヴィシュワのコースがメインであることが多いので、
頻繁に通える訳ではないのだけれど、
ニルマラ先生のクラスは、毎度ピッと背筋が伸びる思いと、
心の奥に柔らかさと静けさが生まれるのが不思議。
毎度後々何かしらの気付きが生まれるのですが、
今回の気付きは
カラダは大切なものだけどただの道具でしかなくて、
道具をお手入れする方法を知る為にあるのがアーサナの練習。
その道具を使って目的のものが為されれるようになれば、
いずれもさほど重要じゃなくなってくる。
それが忘れるって表現になるのかな。
ってことでした。
じゃあその目的って?
それは道具(個々のカラダ)によって違う。
カラダに宿る魂によってちがう。
その目的を知るために、瞑想があるんじゃないかなーと思う。
「こうなりたい」
をひとまず捨てて、
「そういうものだ」
を知ること。
それにはやっぱり客観的&意識的な視点を持ち続けること。
瞑想といっても座ってチーンとするイメージの瞑想だけじゃなくて、
日常で上の2つができていれば、
それは瞑想的であるといえるんじゃないかなー。
トンカチがノコギリになろうと思ったとして、
きっとなれなくはないんだろうだけど。
トンカチはトンカチとして必要な役割があるし、
道具によって合ったお手入れ方法も違うから。
だから自分がトンカチだということをまず知った方が、
道は開けるんだと思うんだなぁ。
難しいように見えることも実はすごく単純。
それに気づくまでが、けっこう大変だったりもするけどね。
Love
FUKUKO