先日、脳梗塞で入院し
5月27日に退院した次兄が

6月10日に亡くなりました

5月30日に退院した時は
憎まれ口を書いていたのが
嘘のようです。

6月7日、退院後の診察に行き
翌日8日、仕事復帰
緊張と不安の中1日仕事をして
翌日も仕事に行く段取りを
していたみたいです。

9日(日)

14:30頃、病院からのTEL
嫌な予感がしました

『意識不明の状態で緊急搬送されました。
いますぐ来られますか?』

一人暮らしの次兄が意識不明で
緊急搬送と言う状況が読めず
時系列を辿った憶測ばかり

詳しくは病院に着いてから
確認しよう

丁度外出先から家に帰ってきた所で
車を乗り換えて病院へ

日曜日の救急外来は
体調が悪そうなお子様のご家族が
長椅子に倒れかかるように
座られていたり

車椅子のご老人が子供夫婦に
連れられて来ていたりと

どの家族も緊迫している状況でした

我が家もそのうちの一家族
先生の話を聞く間に
コロナに関する問診表を記入したり
同時に着いた甥っ子(次兄の息子)
と、時系列を確認したり

最後に会ったのは1週間前
福井県の永平寺に行って
前日も電話で話したと

私は5月27日の退院の時が
最後でした。

6月7日診察の時も
どうだった?
と確認の電話をしようか迷って

私自身があまり関われないことに
首を突っ込むのは
控えようと思っていたから

頼まれたことだけ粛々とやろう
と決めていたので

電話はしませんでした

後悔・・・はしてません

結局、次兄の死因は脳出血

先の脳梗塞との因果関係は無く
元々ボロボロだった血管が
高血圧と動脈硬化で脳出血を引き起した

たまたま脳梗塞と
期間が近いだけで
別の症状だと説明を受けましたが

遅れてきた長兄は
納得がいかなかったようで
もう一度同じ話を
先生にしてもらいました

その時点で持ち堪えて1週間
早くて2、3日が山場
持ち堪えたとしても
元の生活には戻れないだろう

結局運ばれた翌日の14:33
59歳で永眠しました

3年前の6月3日には母が亡くなり
似たような月日に旅立ちました
一番母に会いたがっていた次兄が
真っ先に逝ってしまった

天国でお母さんに会えるように
お母さんの写真を棺に入れました

今回の喪主は次兄の息子です

高校卒業後
3年くらいフリーターをしていた
次兄の息子(甥)は
理学療法士の資格を取るべく大学に
入学するも勉強について行けなかったり

コロナ禍で学校に行けなかったりで

中退しました


周りの友達が大学卒業や就職する

頃になり、やっと就活を始め


母が亡くなった時に葬儀をあげた

葬儀会館Tに就職しました


3年前の葬儀で母へのサプライズに

一家が感動、感謝し


その翌月に亡くなった義母の葬儀も

予定していた葬儀場を変更し

甥っ子勤める葬儀会館Tにしました


勿論次兄の葬儀もT


22歳の甥っ子が葬儀に関する全てを
取り仕切りました

家族葬でいいやん
と言っている私達の意見は聞かず
盛大に親父を見送るんだ!と、
葬儀に参列してくださる方々に
連絡をして

沢田研二の名曲とともに
見送りました

葬儀に来れなかったお友達も
お別れの時間に
LINE電話で繋げてもらい

棺の中でタバコをくわえる次兄に
最後の挨拶をしてくれました
タバコをくわえさせたのは私🤭

次兄の中学時代の
ヤンキー仲間も
あの頃のまま今も
今日から俺は!!でした

そういった段取りを甥っ子が
全てやってくれたのは
それまでに職場で経験した事が
活かされたんだと思います。

立派な葬式だったよと
褒めてあげましたラブ


私はと言うと、
決して仲が良い兄妹では無かったけど
どこか憎めないヤツでした

全部残して逝ってしまったので
色々やる事が残っていますが

甥っ子を中心に進めて行こうと
思っています

葬儀が終わった後の甥っ子は
役所の手続きや職場の業務連絡などは
私に振ろうとするので

叔母の私は言われたことを
手伝うだけにしようと思っています


16歳から家を出て
一緒に暮らしていた時間も
短かったけど

困ったときだけ連絡してくる
次兄でしたけど

唯一の子孫甥っ子を
この世に授けてくれたので
そこだけは感謝します爆笑




自分自身も
いつ何があるか分からないので
この機会に夫婦で
エンディングノートを
書くことにしました

長兄にも書いてもらうことにしよう