五月に首を痛めてから接骨院に通っています。

ある一定の状態からあまり良くならないなぁと感じ、3週間ほど通院を休んでいました。

しばらくぶりに通院し、先生がどんな反応をされるか、気がかりでした。

いつもは、ほとんど先生が診てくださるのですが、今日はノータッチで、助手の若いお兄さんがマッサージをしてくれました。

帰り際に先生に挨拶をしても、声が届かなかったのか返事はありませんでした。


一方、助手の方は「しばらく見えなかったですけど、どうしたんですか?」と気さくに話しかけてくれました。

いつもと変わりなく、アドバイスをいただき、ホッとしました。


どんな状態であれ、ありのままを受け入れてもられることは、なんて有難いのだろうと感謝しました。



数年前、息子が通信制高校に通っていた頃、スクーリングに行かれなかった日は、落胆しました。

息子が学校へ行ったか、行かれなかったかで一喜一憂している自分を思いだしました。

私の息子への態度も、私にとって好ましいかどうかで無意識のうちに変わっていたと思います。

今になってようやく、息子のありのままを受け入れられなかったことを申し訳なく思います。

どんなときも、いつもと変わらず受け入れられることが、どんなに心がやすらぐか身をもって理解することができました。


いつもと変わらぬ愛で見守る。

どんなときも、帰れる心の基地がある有難さ。

分け隔てなく、すべての人に同じように愛で接していきたいと心から思いました。


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