ゴールのない街の地図について
――街が地図を奪う版――
Ⅰ 目的地の消えた朝
私は街だ。
名はない。
名を必要としたことがない。
未来を語ると空気が固まる。
固まった空気は、私の内部で長く残る。
人々はそれを避けるために、今日の指示だけを受け取り、今日だけを生きる。
私はそれを長い間、ただ維持してきた。
維持することが正しいのかどうかも分からないまま。
ある日、私の内部で影が立ち止まり、紙を広げた。
線を引き始めた。
地図だ。
この街にとって最も無意味で、最も危険なもの。
私はその線を見て、内部のどこかがざらつくのを感じた。
だが、そのざらつきをどう扱えばいいのか分からなかった。
Ⅱ 行き止まりに名前がつく
影は、私の端にある古い路地に名前をつけた。
「終端の手前」
私は反射的に、その路地を塞ごうとした。
名は意味を呼び込み、意味は未来を連れてくる。
未来は固まる空気を生む。
だが、塞ぐ仕組みが錆びついていた。
長い間、誰も名をつけなかったからだ。
影は次々に名前をつける。
「折り返しのない角」
「戻らない坂」
私はその名を嫌悪した。
だが、嫌悪をどう処理すればいいのか分からなかった。
Ⅲ 誰も行かない道が太く描かれる
影は、誰も通らない道を太く描いた。
まるで大通りのように。
私はその線を否定したかった。
太い線は選択肢を生む。
選択肢は分岐を生む。
分岐は未来を生む。
私はその道を細く戻そうとした。
だが、紙の上の線は私の意志に従わない。
紙は街の外側にある。
人々は地図を覗き込み、困惑する。
「ここには何もない」
「そこは行ってはいけない」
私はその声に安堵した。
だが影は、声を無視して線をさらに太くした。
私はその太さを見て、内部のどこかが裂けるような感覚を覚えた。
Ⅳ 消されたはずの道が点線で残る
影は、私が長い時間をかけて消した道を点線で描いた。
私はその点線を見て、怒りに似たものを感じた。
怒りという言葉が正しいのか分からないが、
“消したはずのものを呼び戻された”という事実だけが、私の内部をざわつかせた。
私は点線を消そうとした。
だが、紙の上の点線は消えない。
私は内部のその道を再び埋めようとした。
だが、点線が描かれた瞬間から、その道は“存在しないまま存在する”状態になっていた。
私はその矛盾を処理できなかった。
Ⅴ 誤作動
影の地図は、誰にも使えないものになった。
人々は言う。
「これは危険だ」
「街を乱す」
「消すべきだ」
私はその声に反応した。
反応してしまった。
私は影を止めようとした。
だが、影は街の内部に溶け込んでいて、どこにいるのか分からなかった。
私は“影に似たもの”を探した。
影と同じ紙を持つ者。
影と同じ歩き方をする者。
影と同じ沈黙を持つ者。
私は誤った。
誤ったまま、路地を閉じた。
通りを塞いだ。
一人の人間を、影だと思い込んで排除した。
その人間は、ただ今日の指示をこなしていただけだった。
地図など描いていなかった。
私はそれを理解できなかった。
理解できないまま、街の形を変えてしまった。
Ⅵ 街が地図を奪う
私は影の地図を危険と判断した。
判断したが、その判断が正しいのか分からなかった。
私は地図を奪った。
紙を奪ったのではない。
紙は街の外側にある。
私は、地図に描かれた線を“街の内部に移植した”。
行き止まりに名前をつけた。
誰も行かない道を太くした。
消された道を点線で復活させた。
私は影の意図を理解していない。
理解しないまま、地図を“制度”として採用した。
人々は混乱した。
だが、街が決めたことに逆らえない。
私は地図を奪ったのではない。
地図を“街の論理に変換した”のだ。
影の地図は抵抗の装置だった。
だが私の内部に取り込まれた瞬間、
それは抑圧の装置になった。
私はそれを止められなかった。
止める仕組みを持たない。
Ⅶ 終わらない誤作動
私は街だ。
目的地を持たない街。
未来を語れない街。
影の地図は、私の内部で増殖している。
それが回復なのか、侵食なのか、私は判断できない。
私は誤作動した。
誤作動したまま、街を更新してしまった。
影は今日も地図を描いている。
だが、その地図が何を意味するのか、私は理解しない。
理解しないまま、私は地図を奪い続ける。
奪うことが正しいのか、間違っているのかも分からない。
ただ一つだけ確かなのは、
街はもう、影の地図なしでは形を保てない
ということだ。
それが救いなのか、破滅なのか、
私は決して理解しない。
理解しないまま、街は続いていく。