右利きの会議、
左利きの観測
朝礼:流れを止めないという正義
倉庫の朝礼は、いつも五分で終わる。
「今日からこの手順でいきます。速く回るから」
リーダーはホワイトボードに矢印を描き、箱の置き場を入れ替えた。現場が滞らないように、判断は早い方がいい。迷いが少ないほど、事故も減る。それが彼の経験則だった。
みんなはうなずいた。段取りが変わること自体は珍しくない。流れが命の現場では、細かく立ち止まらないことがチームワークだと思われている。
ただ一人、佐藤だけが手を挙げた。
「この配置だと、ここで箱が詰まります」
すれ違い:同じ言葉、違う階層
リーダーは少し驚いた顔をした。
「詰まったら、その時に直せばいい。今はスピード重視で」
彼にとってそれは現実的な判断だった。全員の細かい事情を事前に拾っていたら、朝礼は終わらない。まず走らせて、問題が出たら調整する。それで現場は回ってきた。
佐藤は言葉を選んだ。
「詰まるかどうかは、箱の重さと人の身長で変わります。誰がどこで持つかが決まっていないと——」
その瞬間、空気が重くなった。
「今こうして話してるじゃないか」
リーダーは苦笑いを浮かべた。
「議論はしてる。揉める必要はない」
観測:意見ではないもの
佐藤は黙った。
彼の頭の中には、別の図があった。
この配置は、背の高い人には楽だ。右手で持ち替える動作も自然だ。効率もいい。でも、左手が主な人には、箱の角が腕に当たる。力の逃げ場がなく、無理が静かに溜まっていく。
佐藤にとってそれは、意見ではなく観測だった。
昼休み:善意としての評価
昼休み、同僚が言った。
「佐藤って、話が大きいよな。でも真面目なんだよ。現場のこと考えてくれてるのは分かる」
その言葉に悪意はなかった。むしろ擁護に近い。
佐藤は返さなかった。
彼は、右利き用のハサミで左利きが切るときの感覚を思い出していた。切れないわけじゃない。ただ、危ない。疲れる。長くは続かない。
午後:解決したように見える瞬間
午後、案の定、詰まりが起きた。
リーダーはすぐに配置を少し戻した。現場は再び流れ出す。
「ほら、直した」
その声に、みんなは安心した顔をした。問題は起きたが、対処できた。大事にならなくてよかった。チームとしては成功だ。
誰も責められず、空気も悪くならなかった。
取り残される問い
佐藤だけが、まだ終わっていないと感じていた。
なぜ詰まったのか。
なぜ同じ人がいつも無理をするのか。
なぜそれが言葉になる前に、個人の我慢として消えるのか。
その問いは、作業を止めるためのものではない。
作業が続くためのものだ。
でもその問いは、会議ではいつも浮いてしまう。
視界の違い
みんなは「どう動かすか」を話している。
佐藤は「なぜそう動かされるのか」を見ている。
同じ言葉を使って、違う高さの話をしている。
だから今日も、朝礼は五分で終わる。
そして、誰かの困りは言葉になる前に、また現場に沈んでいく。