猫とは、15年間暮らしました。

 

一緒に寝てるんですけど、

朝、猫の方から、

僕の顔に、顔をこすりつけてきます。

 

おはよう」ってことです。

 

毎朝、起こしてくれました。

 

僕は、毎日、猫に、

かわいい。愛しているよ」と言います。

 

たぶん、1日、

50回くらい言ったと思います。

 

最後は、僕が入浴していると、

浴室のドアで、鳴きます。

 

僕は、浴室のドアを開けてやります。

 

以前は、

浴槽の縁に坐って、

僕がお湯に浸かっているのを、

眺めていました。

 

揺れるお湯を、

前足(て)で、掬ったりもしました。

 

ただ、このときは、

入って来ないで、

しばらく僕を見たあと、

這うようにして、

部屋へと戻って行きました。

 

僕が、入浴を終えたときには、

猫は、死んでいました。

 

きっと、浴室には、

最後のお別れをしに来たんです。

 

死んでも、美しいです。

 

僕は、抱きしめました。

 

埋葬を終えて、

しばらくは、鏡を覗くと、

そこに映っているのは、悲しみです。

 

悲しい顔とか、涙ではなくて、

悲しみだけが、映ります。

 

笑ってみても、悲しみです。

 

猫を亡くしてみると、

あの猫は、僕だったと感じます。

 

自分とは、

切り離せなくなっていたからです。

 

どこから、どこまでが、自分で、

どこから、どこまでが、猫かが、

わからなくなっていたんです。

 

あの猫がいたから、僕で、

僕がいたから、あの猫です。

 

あの猫は、

それを教えにきてくれたとさえ思えます。

 

あの猫ではなくても、そうです。

 

風があるから、僕で、

僕があるから、風です。

 

花があるから、僕で、

僕があるから、花です。

 

この世界があるから、僕で、

僕があるから、この世界なんです。

 

もう僕は、35歳になっています。

 

結婚する気もありません。

 

もともとモテないので、

どっちにしても、独身だったでしょう。

 

高校の男子校で、

数学を教えているだけです。

 

趣味も、数学だけです。

 

それで、人生の最後をかけて、

存在の数式を解いてみようと思いました。

 

何のために生きるのか、

答えを出そうとしたんです。

 

それは、

僕の猫への餞(はなむけ)なんです。

 

 

 

ー つづく ー

 

 

 

悲しみって、鏡に映るんですウインクラブラブ