霊の訪問

 

 

 

 

 

 毎晩、ページ数を決めて、カントの『純粋理性批判』を読んでいました。

 

 

 部屋で、ひとりで、読んでいるんですけど、人の息づかいが聞こえます。

 

 

 もちろん、誰もいません。

 

 

 でも、読んでいると、部屋に、人の気配がするんです。

 

 

 耳を傾けると、呼吸音がします。

 

 

 とくに、読んでいると、はっきりと聞こえます。

 

 

 それで、見つめてみるんですけど、誰も、いないんです。

 

 

 『純粋理性批判』は難しいんで、わからないところが多いです。

 

 

 それで、本を置いては、考えます。

 

 

 あるとき、ふと、息づかいがする方に向かって聞いてみました。

 

 

このアプリオリの根拠って、確かなんですか?

 

 

 すると、頭の中で、声が聞こえます。

 

 

 アプリオリの根拠について、説明をしてくれます。

 

 

 アプリオリって、経験に先立つ認識なんですけど、常識的には、理解しづらいです。

 

 

 それを、熱心に、教えてくれます。

 

 

 僕は、重ねて、質問します。

 

 

 それにも、答えてくれます。

 

 

 僕らは、毎晩、哲学論議を繰り返しました。

 

 

 もしかしたら、父と母は、僕が、ひとりで、部屋で喋っているので、心配していたかもしれません。

 

 

 でも、僕は、楽しくて仕方なかったです。

 

 

 ところが、『純粋理性批判』を読み終えて,純粋判断批判』に入ったところで、人の気配がなくなります。

 

 

 いくら呼びかけても、返事もないです。

 

 

 あとは、「自分で読めよ」ってことなのかもしれません。

 

 

 霊については、こんなこともあります。

 

 

あるヨギの自叙伝』を読み終えた夜です。

 

 

  

 

 

 眠っていると、誰かが、部屋のドアを開けて、入って来ました。

 

 

 僕は、飛び起きて、「誰だ?」って、怒鳴りました。びっくりしたんです。

 

 

 その人物は、淡く光っています。

 

 

 ところが、部屋の照明を点けてみると、誰もいません。

 

 

 「寝ぼけたのか・・・・」って思いました。

 

 

 そのあと、ネットで、世界中で、『あるヨギの自叙伝』を読んだ人が、パラマハンサ・ヨガナンダの霊の訪問を受けるという記事を見つけます。

 

 

 どうも、僕も、訪問を受けたらしいです。

 

 

 「誰だ?」なんて、怒鳴ってしまって、失礼なことをしたと、後悔しているんです。

 

 

 ー つづく ー

 

 

お読みいただいて、ありがとうございますウインクお願い

 

 

 

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