94話 新婚旅行の行き先

 

 

 

 

あなたは、眠いだけなのよ」と言われた婦人警察官は、激しく泣き出した。

 

時速100kmで落ちそうになっているのに、眠いわけがないでしょ?

 

Yukiは身体を震わせて、笑っている。大笑いだが、エンジンの回転数がレッドゾーンに入っているのかもしれない。

 

 

毎晩、あなたは眠っているのでしょ? 眠れるのは、幸せでしょ?

 

早く家に帰って、眠りたいわよ! こんな一日は、もうたくさんだわ!

 

それを、眠いだけって言うのよ

 

私は、こんな思いは、もうたくさんだって言っているのよ!

  あなたが、止まってくれたら、終わるのよ!

 

 婦人警察官は、大泣きだ。 時速100kmで走るバイクから、落ちそうになっているからだ。

 

私が止まっても、終わらないのよ。

 終わらせられるのは、あなたしかいないの

 

私に終わらせられるなら、あなたを終わらしてやりたい! 殺してやりたいわ!

 

それは、私を愛しているから?

 

憎んでいるからよ! 腹が立って仕方がないからよ!

 

あなたは、死を、悪いものだと思っているのね?

 

当たり前でしょ? 死は、最悪よ

 

それこそ、勘違いよ。 死は、愛よ

 

あなたこそ、勘違いしているのよ! じゃ、なきゃ、ただの馬鹿よ!

 

死ねないのは、眠れないのと、一緒よ。 つらいと思うわ

 

私は、死ななかったら、幸せよ。 ずっと生きていられるもの

 

だったら、ずっと眠らなかったら、幸せ?

 

眠りと、死を、一緒にしないでよ! 全然、違うものよ!

 

 婦人警察官は大泣きをしていて、Yukiは大笑いをしている。 そのふたりが、話している。 それも、時速100kmで走りながらだ。

 

あなたは、どこで眠るの?

 

ベッドの中よ!

 

愛の中よ。 ひとつに戻っているの。 愛されているのよ

 

今の願いは、無事にベッドに戻ることだわ! 

 私のベッドよ! 

 病院のベッドじゃなくてよ!

 

誰も、自分で眠っている人は、いないのよ。 

 眠りは、訪れるの。 

 愛されているのよ

 

愛されたいわよ!」 悲痛な叫びだ。

 

眠りと呼ぶから、わからないの。 

 愛なのよ。 

 ひとつに戻っているの。 

 愛されているの。 

 だから、眠れないと、つらいのよ。 

 眠くなるのは、愛されたいからなの

 

だからって、死も、愛とは、言えないでしょ?

 

どうして?

 

私は、今、転げ落ちて、死んだら、愛されているとは、絶対に思えないわ! 

 むしろ、愛されなかった人生だったと思うわよ!」

 

死と呼ぶから、わからないのよ。 

 愛と呼べば、わかるわ

 

呼べるわけがないでしょ!

 

誰も、自分で死んでいる人は、いないのよ。 

 死は、訪れるの。 

 愛されているのよ。

 眠りと一緒よ

 

そんなの、愛されているって言わないわよ!

 

意識なのよ。 

 どう意識するかだけなの。 

 愛されていると思えば、愛されているし、愛されていないと思えば、愛されていないのよ。 

 死とか、眠りとか、関係ないの」 

 

死ぬのだけは、絶対に嫌(いや)よ!

 

その意識が、死を、最悪のものにしているのよ

 

死は、最悪よ!

 

最悪なのは、あなたの意識なんだってば。 

 あなたは、意識の中にいるのよ? 

 ひとつなのよ? 

 愛されているの。 

 最悪だと思うから、最悪なだけなのよ

 

私が、どう思おうが、死は最悪だわ! 

 絶対に嫌よ!

 私は死にたくないのよ!

 

 Yukiが、僕に言った。

 

新婚旅行の行き先が、決まったわ。 

 天国にしましょう。 

 彼女を連れて行ってあげて

 

 

 僕は、一瞬、ためらった。 

 

 でも、これまで、何度も、死んできたのだ。 

 

 核ミサイルを撃ち込まれたこともある。

 

 僕は、婦人警察官を見つめた。

 

「心配は、いらないですよ。 ただ死ぬだけですから」

 

何をするつもりなの? やめて! やめて!

 

 僕は、バイクのハンドルから、手を離した。 

 

 婦人警察官を抱き締(し)めながら、時速100kmで走るバイクから、落ちて行った。