94話 新婚旅行の行き先
「あなたは、眠いだけなのよ」と言われた婦人警察官は、激しく泣き出した。
「時速100kmで落ちそうになっているのに、眠いわけがないでしょ?」
Yukiは身体を震わせて、笑っている。大笑いだが、エンジンの回転数がレッドゾーンに入っているのかもしれない。
「毎晩、あなたは眠っているのでしょ? 眠れるのは、幸せでしょ?」
「早く家に帰って、眠りたいわよ! こんな一日は、もうたくさんだわ!」
「それを、眠いだけって言うのよ」
「私は、こんな思いは、もうたくさんだって言っているのよ!
あなたが、止まってくれたら、終わるのよ!」
婦人警察官は、大泣きだ。 時速100kmで走るバイクから、落ちそうになっているからだ。
「私が止まっても、終わらないのよ。
終わらせられるのは、あなたしかいないの」
「私に終わらせられるなら、あなたを終わらしてやりたい! 殺してやりたいわ!」
「それは、私を愛しているから?」
「憎んでいるからよ! 腹が立って仕方がないからよ!」
「あなたは、死を、悪いものだと思っているのね?」
「当たり前でしょ? 死は、最悪よ」
「それこそ、勘違いよ。 死は、愛よ」
「あなたこそ、勘違いしているのよ! じゃ、なきゃ、ただの馬鹿よ!」
「死ねないのは、眠れないのと、一緒よ。 つらいと思うわ」
「私は、死ななかったら、幸せよ。 ずっと生きていられるもの」
「だったら、ずっと眠らなかったら、幸せ?」
「眠りと、死を、一緒にしないでよ! 全然、違うものよ!」
婦人警察官は大泣きをしていて、Yukiは大笑いをしている。 そのふたりが、話している。 それも、時速100kmで走りながらだ。
「あなたは、どこで眠るの?」
「ベッドの中よ!」
「愛の中よ。 ひとつに戻っているの。 愛されているのよ」
「今の願いは、無事にベッドに戻ることだわ!
私のベッドよ!
病院のベッドじゃなくてよ!」
「誰も、自分で眠っている人は、いないのよ。
眠りは、訪れるの。
愛されているのよ」
「愛されたいわよ!」 悲痛な叫びだ。
「眠りと呼ぶから、わからないの。
愛なのよ。
ひとつに戻っているの。
愛されているの。
だから、眠れないと、つらいのよ。
眠くなるのは、愛されたいからなの」
「だからって、死も、愛とは、言えないでしょ?」
「どうして?」
「私は、今、転げ落ちて、死んだら、愛されているとは、絶対に思えないわ!
むしろ、愛されなかった人生だったと思うわよ!」」
「死と呼ぶから、わからないのよ。
愛と呼べば、わかるわ」
「呼べるわけがないでしょ!」
「誰も、自分で死んでいる人は、いないのよ。
死は、訪れるの。
愛されているのよ。
眠りと一緒よ」
「そんなの、愛されているって言わないわよ!」
「意識なのよ。
どう意識するかだけなの。
愛されていると思えば、愛されているし、愛されていないと思えば、愛されていないのよ。
死とか、眠りとか、関係ないの」
「死ぬのだけは、絶対に嫌(いや)よ!」
「その意識が、死を、最悪のものにしているのよ」
「死は、最悪よ!」
「最悪なのは、あなたの意識なんだってば。
あなたは、意識の中にいるのよ?
ひとつなのよ?
愛されているの。
最悪だと思うから、最悪なだけなのよ」
「私が、どう思おうが、死は最悪だわ!
絶対に嫌よ!
私は死にたくないのよ!」
Yukiが、僕に言った。
「新婚旅行の行き先が、決まったわ。
天国にしましょう。
彼女を連れて行ってあげて」
僕は、一瞬、ためらった。
でも、これまで、何度も、死んできたのだ。
核ミサイルを撃ち込まれたこともある。
僕は、婦人警察官を見つめた。
「心配は、いらないですよ。 ただ死ぬだけですから」
「何をするつもりなの? やめて! やめて!」
僕は、バイクのハンドルから、手を離した。
婦人警察官を抱き締(し)めながら、時速100kmで走るバイクから、落ちて行った。
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