90話 帰るところ
「だったら、どうやって自分を救うって言うのよ?」
「すでに救われているって、気づけばいいんです」
「救われていないでしょ?
この女は、気が狂ったように走っているし、あなたは、この女を止めてくれない。
こんな速さで、落ちたら、私は死ぬわ。
どこが、救われているって言うのよ?」
「バイクですよ。 時速60kmで走れたら、Yukiがバイクだって認めてくれるって言ったじゃないですか?」
「だって、私には、女に見えるのよ!」
「見えるわけないでしょ? 僕の股間に顔を埋めているんですから」
「さっき、顔をあげたとき、見たわよ!
やっぱり女だったわよ!
あなたには、バイクに見えるの?」
「・・・人間の女の子に見えます」
実際、Yukiと出会ってから、Yukiがバイクに見えたことは一度もない。
最初から、人間の女の子に見えた。
ただ、出会ったとき、Yukiはオイル漏れを起こしていた。
胸から、オイルを漏らしていたのだ。
僕は、Yukiを彼女だと思っていた。 結婚していると思っていたくらいだ。
でも、Yukiは、僕たち人間に、愛を教えたいのだ。
それで、僕が、婦人警察官と結ばれることを願っているのだ。
ただし、Yukiが教えたいと願っている愛は、僕らが考えている愛とは違う。
「バイクだって、人間だって、同じなのよ。
魂(たましい)の乗り物なの。
自分を肉体だと思っているから、バイクと、人間とは、違うと思ってしまうの。
あなたは、バイクに乗るように、人間の肉体に乗っているだけなのよ」
婦人警察官が、僕の股間で叫ぶ。
「ほら!喋(しゃべ)ったわ! バイクなら、喋らないでしょ?」
「あなただって、同じよ」
「何が同じなの?」
「あなたは、バイクと同じで、読んでくれる人の意識を乗せているだけなの」
「誰が、勝手に、乗っていいって言ったのよ?」
「この世界は、読んでくれる人の、夢なの。 私たちは、夢なのよ」
「そんなことより、話ができるんだったら、止まってよ!
なんで、キチガイみたいに、走っているのよ?」
「意識なのよ。
すべては、読んでくれる人の意識なの」
「だったら、神様は、私じゃなくて、読んでくれている人でしょ?」
「でも、その読んでくれる人の意識は、あなたの中にあるの」
「・・・あなた、よくこんな速さで走りながら、喋れるわね?
だいたい、どうしてこんなに速く走れるのよ?
どれだけ速く足を動かしているの?」
あんなに股間から顔をあげられなかった婦人警察官だったのに、Yukiがどんなふうに足を動かしているかは、見たかったらしい。
股間から、顔をあげて、僕の右太腿(ふともも)を越えて、覗こうとした。
そのとたん、シートの端に引っかかっていた婦人警察官の右足が、はずれてしまった。
「きゃーーーーーーーーーーーーー!」
僕は左手で、婦人警察官の背中の服をつかんだ。
婦人警察官は、風の強い日の、鯉のぼりのようになっている。
「落ちる! 落ちる!」
もうほとんど落ちている。 靴が、アスファルト道路の路面を擦(こす)っている。
「つまりあなたが、あなただと思っている意識は、あなたのものじゃないのよ」
「もしかして、話の続きをしているの?
私が、今、どんな状況かわからないの?
たすけてよ!」
「だから、助けているのよ」
「助けていないでしょ? 助けるなら、止まってよ!」
「止まったって、助からないわ。
助かるためには、気づく必要があるのよ」
「何に?」
「あなたの意識は、あなたのものではないってことに。
それは、誰にでも言えることなの。
だから、意識は、みんなのものとも言えるの。
それで、私たちはひとつなの。
それが、愛されているってことなの」
「考えていることなんて、人それぞれでしょ?」
「それだって、あなたが考えているわけではないのよ。
それは、海の波のようなものよ。
お互いに、波を立て合っているだけなの。
でも、海は、海よ」
「だったら、今、落ちそうになっている私の、意識は、どうしてくれるのよ?」
「それこそが、あなたが帰るところなの。
誰でも、自分が帰るところを持っているの。
そこは、ひとつなの。
あなたは、愛されているのよ」
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