74話 『本』と『現実』
婦人警察官は、また僕の顔を見つめている。
見つめられるたび、僕の目は泳いでしまう。
「あなたは、彼女いるの?」
「・・・・・・・・・いますよ」
「どうして答えるまで、間(ま)があったの?
まさか、バイクが恋人とか言わないでよ」
「え?」
嘘発見器の針が、僕の心の動揺のように激しく振れている。
婦人警察官は、目をまるくして、激しく振れる針を見ている。
「図星ね。
彼女なんて、いないんでしょ?」
「でも、本当に、人間の女の子に見えるんですよ。
喋(しゃべ)るし、笑うんです。
それに、すべてが意識だと教えてくれたのも、彼女なんです」
婦人警察官は、気色(きしょく)悪そうに、僕を睨(にら)んでいる。
「 あなた、バイクと話すの?
バイクが笑うなんて、笑えない話よ」
「でも、すべてが意識なんですから、バイクと話すことだって出来るんですよ」
婦人警察官は、さらに気色悪そうに眉を寄せている。
「バイクと話せるとか、言わないでくれる?
人間の彼女がいないからって、バイクと話すことないでしょ。
淋し過ぎるわ」
「でも、人間も、バイクも、記憶ですよ。
本の中の、文字と、同じなんです」
「本の中、本の中って、譬(たと)えで話すの、やめなさい。
現実は、本じゃないんだから」
僕は、うなずいた。
「その気持ち、よくわかります。
僕も、Yukiが、本の中って言うたび、違うって思っていました。
でも、やっと、僕らは、本の中にいるってわかったんです」
婦人警察官が、是見(これみ)よがしに、大きな溜め息を吐いている。
「Yukiって、バイクでしょ?
だったら、バイクって言いなさいよ」
「たとえば、僕と、あなたと、バイクの、違いは、『僕』という文字と、『あなた』という文字と、『バイク』という文字の違いに過ぎないんです。
もし、この言葉を知らない外国人が、これらの文字を読んでも、何が書いてあるのか、わからないんです。
わかるには、読む人に、これらの文字の記憶がないとダメなんです。
つまり、僕らは、記憶の違いに過ぎないんですよ」
婦人警察官は、苛立(いらだ)つように、ボールペンで、机の上をコン、コン、叩いている。
「だから、譬えるのは、やめなさいってば。
それ以上続けると、逮捕するわよ」
「譬えじゃないですよ。
あなたが、あなただと思えば、思うほど、『あなた』という文字の中に、あなたを閉じ込めてしまうんです。
この本の中に閉じ込めてしまうんですよ」
「あなたこそ、警察署の、取調室の中に、閉じ込められているのよ?」
「意識は、意識するんです。
それは、意識は、夢を見ると言ってもいいし、 神は、世界を創造すると言ってもいいんです。
僕らが、僕らだと思っているものは、意識が、意識しているに過ぎないんです。
僕らが、僕らだと思っているものは、意識なんですよ。
『本』も、『現実』も、意識が、意識しているんです。 同じなんですよ」
「本と、現実の、違いは無いって言い張るつもりなのね?」
「僕らは、違いにこだわって、分離(ぶんり)しているだけなんです。
違いだらけの中で、彷徨(さまよ)っているだけなんです。
でも、大事なことは、同じだと気づくことなんです。
分離を終わらせることが、必要なんですよ」
「本当に、本と、現実に、違いは無いの?」
僕は、心を込めて、うなずいた。
「同じだと、気づくことが、僕らを、意識そのものへと、帰してくれるんです。
僕らを、ひとつへと、戻してくれるんです。
この本の中から解放してくれるんですよ」
「私を、この彼氏のいない物語から、解放してくれるってこと?」
「分離を終わらせられれば、僕らは、物語を書く人になり、本の中の登場人物となり、読んでくれる人となるんです。
僕らは、ひとつになるんですよ」
「確かに、私は意識かもしれないけど、この身体も意識なの?
どうして、この身体まで、意識だと、言えるのよ?」
「もともとは、ひとつなんです。
そのひとつだったものが、自分に気づいた。
それが、意識の誕生らしいんです」
「・・・らしい?」
「・・・・って、バイクが教えてくれたんです」
婦人警察官は、呆(あき)れて、首を横に振っている。
「そんなことより、人間の女の子の方が、もっといいってことを、私が教えてあげたいわ。
そうすれば、この身体が、文字なんかじゃないってこともわかるから」
嘘発見器の針が、照れたように、くねくねと振れだした。
それは、嘘のためではなくて、僕が照れたせいだ。
興奮したせいだ。
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