22話 夜の森

 

 臙脂色(えんじいろ)の帯を、置いて行ってくれた。 

 

 まるで紅葉のような臙脂色だ。 

 

 僕が、この山の美しさに胸をときめかせていただけなら、後ろめたいことは何もないけど、若い女への下心(したごころ)で、興奮していたのなら、Yukiに対して、後ろめたい。

 

 もっとも、若い女に見えてはいたけど、この山の神様だったらしい。

 

 そうでなければ、今頃、裸で、茂(しげ)みの陰(かげ)にでも、隠れているのだろう。

 

 Yukiは、バイクだから、僕が女に興奮したとしても、問題は無いはずだが、この世界では、Yukiは女に見えるし、喋(しゃべ)りもする。

 

 僕には、Yukiがバイクだということの方が、信じられないが、実際、僕を乗せて、Yukiが凄(すさ)まじい速さで、走るので、たぶん、Yukiがバイクだということは、本当なのだ。

 

 バイクが、人間の女に見えるってことが、この世界が、現実ではないことの証拠だ。

 

 僕は、どこかで、眠っていて、夢を見ている。

 

 ただ、どうやったら、この夢から覚めることができるのかが、わからない。

 

 とりあえず、Yukiが、天国で、僕を待っているかもしれないから、死ぬことにした。

 

 ただ、下心に躍(おど)っていた僕を、天国から見ていたとしたら、会ったとたんに、Yukiが、僕を、地獄に突き落とさないか、心配だ。

 

 僕は、手頃(てごろ)な枝の樹を探すと、その枝に、臙脂色の帯を掛けた。

 

 大きめの石を拾(ひろ)ってきて、踏み台にして、自分の首に、臙脂色の帯を巻いて、結(ゆ)わいた。

 

 目をつむって、手を合わせた。

 

 首を吊るなんて、初めてだ。 あまり愉快(ゆかい)なことではない。

 

 首を吊ったら、苦しいのだろうか?

 

 天国へ行くために、首を吊るのだが、天国へ行けるとは限らない。 

 

 地獄へ落ちるかもしれない。

 

 そう考えたら、首を吊るのを、やめたくなった。

 

「・・・・・やめようかな? 地獄で、鬼に殴(なぐ)られたら、嫌(いや)だし・・・」

 

 それで、首を吊るのを、やめようとした。

 

 ところが、首に巻き付けた臙脂色の帯から、無理矢理(むりやり)、頭を抜こうとしたら、バランスを崩した。

 

 あわてて、バランスを取り戻そうとして、足に力を入れた。

 

 そうしたら、石を、蹴り飛ばしてしまった。

 

 結果的に、僕は、首を吊ってしまった。

 

 もちろん、臙脂色の帯を、両手で、つかんだが、それも、結果的には、つかむ所を間違えた。

 

 首の後ろ、結わいた所を、つかまないと、いけなかった。

 

 身体の重みで、結わいた所が、締(し)められて行く。

 

 苦しくて、もがくと、さらに絞(し)められた。

 

「ぐるじい・・・・・・死ぬ・・・・・・・」

 

 死ぬつもりで、首を吊ったのだから、何の問題も無いはずだ。

 

 それなのに、必死になって、もがいている。

 

 この死にたくないという、必死さは、まるで人間の本能のようだ。

 

 僕は、顔を真っ赤に充血(じゅうけつ)させながら、死に物狂いで、助かろうとした。

 

 でも、ダメだった。

 

 真っ暗い闇の中へと沈んで行った。

 気がつくと、夜になっていた。

 

 夜の森は、怖い。

 

 もっとも、僕は、まだ臙脂色の帯で、夜の森の、樹の枝に、ぶら下がったままでいたから、一番怖く見えるのは、僕かもしれなかった。

 

 結局、天国へは行けなかったらしい。 

 

 首を吊って、気を失っただけだ。

 

 考えてみれば、核ミサイルに撃たれても、死ななかったのだから、帯で首を吊ったくらいで、死ねるわけがなかった。

 

 もっとも、僕は、もう、すでに死んでいるのかもしれない。

 

 ただ、自由に動けるから、死んだとは思えないだけだ。

 

「僕って、幽霊(ゆうれい)なのか?」

 

 もし幽霊なら、首を吊っても、無駄(むだ)だった。

 

 それで、僕は、今度は、ゆっくりと、落ち着いて、首を絞めている臙脂色の帯を解(ほど)いた。

 

 僕は、頭を掻(か)いている。

「・・・・・困ったな。 どうやったら死ねるのだろ?」

 

 本当は、死ぬことよりも、天国へ行くことを、考えるべきだった。

 

 もっと言うなら、人間は死なないということが、天国のはずだった。

 

 そのことに気づきさえすれば、怖いものなど、何もないはずだ。

 

 それなのに、僕は、夜の森をさまよっていて、オオカミに出会うと、また死に物狂いで、逃げた。

 

 死にたいはずなのに、である。

 

 それこそが、僕が、夢の中にいる証拠だった。

 

 つまり、目覚めていないのだ。