11話 トンボ
僕はYukiと映画館の中にいた。 スクリーンの前で、並んで座っている。
不思議なのは、いつ映画館に入ったのか、記憶にないことだ。 気がついたら、映画館の中にいた。
「僕らは、何を観に来たんだろ?」 僕は、隣のYukiに聞いた。
「あなたの人生よ」 Yukiは、僕の目を真っ直ぐに見て、言った。
僕は、一瞬、戸惑(とまど)ったが、『あなたの人生』という題名の映画なのだと、理解した。
斜め前の席の、老人が僕らを振り返った。「地震だよ? ほら、揺れているだろ?」
僕は、揺れを感じてみようとしたが、揺れていない。 Yukiに聞く。「揺れているかな?」
「揺れているわ。 あなたの人生は、ずっと揺れっぱなしだわ」
老人の男性は、きょろきょろしながら、立ち上がると、「逃げよう!」と言って、映画館の階段を駆け下りようとして、転んだ。
僕は、席から立ち上がって、助けに行った。 ところが、助け起こしてみると、その老人は、年老いた自分だった。 80歳くらいの自分だった。
80歳の自分は、揺れを感じているらしくて、転んだまま、映画館の天井を見上げている。「このままじゃ、天井が落ちてくるぞ? あんたも、逃げるんだ!」 這うようにして、映画館から出て行く。
這うようにして、よろめきながら、逃げて行く年老いた自分の姿を、僕は観ていた。哀(あわ)れだし、滑稽(こっけい)だ。自分が、あんな歳になっても、まだ死ぬのが怖いことに、哀れを感じた。
僕は、恥ずかしいような気持ちで、Yukiの隣(となり)に戻った。
館内が、暗くなった。映画が始まるらしい。
ところが、4人の女の子が、現れて、日記を読み始めた。 僕の日記だった。
僕は、みんなの前で、自分の日記が読み上げられることに、驚いた。もちろん、恥ずかしい。
僕は、腰を浮かして、Yukiに振り向く。 「僕の日記だ。 どうして?」
Yukiは平然としている。「だから、あなたの人生って、言ったでしょ? ちゃんと座って、聞きなさい」
前の席の人が、振り返って、唇に、人差し指を立てて、「シー」と言った。うるさいということだ。
僕は、恥ずかしさで、真っ赤になったが、すると、スクリーンも真っ赤になっている。
僕は、日記を聞きながら、すっかり忘れていた自分の人生を思い出した。 でも、どこか、遠い出来事のようだ。 まるで作り事か、夢の中での出来事のようだ。
その当時は、必死だったが、それは、さっきの老人のように、哀(あわ)れで、滑稽(こっけい)だ。 なんで、あんなに必死だったのだろうか?と思う。
もし僕の人生を、一言(ひとこと)で表すとするなら、『自分を守る』だった。必死になって、自分を守っていたのだ。
僕は、小声で、Yukiに聞く。「彼女たちは誰だろ?」
「4つの力よ。 出会う、別れる、感情、存在感、・・・・・・喜怒哀楽と言ってもいいかも」
「喜怒哀楽も、感情だよ」
「だったら、核力(強い力)、電弱力(弱い力)、電磁気力、重力と言ってもいいわ」
「もっとわからないよ」
日記は、父親の死ぬところを読み上げている。僕の父は、病院で死んだ。父は、病気だった。
僕は、後悔で胸の中が疼(うず)いた。 「僕の父は、家に帰りたがっていたんだ。 僕に、何度も頼んでいた。 治らないって、わかっていたんだ。 自分の家で、死にたかったんだ」
また、前の席の人が、振り返った。 でも、それは、父だった。
「俺は、帰ったよ。 見回りに来た看護婦が、俺が呼吸をしていないので、あわててな。 俺を呼ぶんだ。ところが、俺は、目の前に立っているんだ。 俺の名前を呼ぶから、そのたびに、はい、とか、何だよ?とか、返事したんだが、あの看護婦、ダメなんだ。医者を呼びに行ってしまった。 また医者が来ると、面倒だと思ってな、俺は、病院を抜け出したんだ。それで、家に帰った。お前たちに、俺が帰って来たことを知らせようとしたんだが、お前たちは眠っていた。夜中の3時頃だったからな。 そのあと、電話があって、おまえたちは病院へ行ってしまった。仕方が無いから、俺は、ひとりで、留守番をしていたよ」
確かに、父が死んだのは、夜中の3時頃だった。その前に看護師が見回りに行ったときには、息があったらしい。息を引き取ったのは、そのあとだ。
僕の前の座席に座って、振り返っている父は、若返って、健康そうだ。
「今でも、ずっと留守番しているんですか?」僕は父に聞いた。
父が笑っている。「家で留守番していると、俺の母親が来てな。お前の祖母(ばあ)ちゃんだよ。 みんな、待っているから、早く来いって」
「みんなって、誰です」
「いや、俺は、みんな、死んだと思っていたんだが、生きていたんだ。死んだ奴は、一人もいなかったよ。 だったら、葬式なんかしなきゃ良かったって、言うとな、みんな笑うんだ」
「父さんは、今、どこにいるんですか?」
「お前の目の前にいるだろ?」
「そうじゃなくて・・・病院で死んだあとですよ?」
「だから、ここだよ」
僕は、突然、全身が、鳥肌立った。 「・・・・・・ここって、もしかして、死後の世界ですか?」
父は、首を傾(かし)げている。 「どうかな? 人は、死なないんだから、死後の世界って言うかな?」
急に、僕は、日記が気になった。 日記の最後が、どんなふうに終わるのか、気になったのだ。
ところが、必死になって、聞こうとすればするほど、何を言っているのか、わからない。言葉というより、音だ。まるで、感情そのものを、聞いているかのようだ。
僕の心臓は、まるでレッドゾーンまで回ったエンジンのようだ。震えている。
Yukiが見かねたように、僕の手を握った。「すごく揺れているわ。 地震みたいよ?」
僕は、映画館の天井を見上げた。 実際、ひどく揺れている。「地震だよ? ほら、揺れているだろ?」
「揺れているわ。 あなたの人生は、ずっと揺れっぱなしだわ。 そう言ったでしょ?」
僕は、きょろきょろしながら、立ち上がると、「逃げよう!」と言って、映画館の階段を駆け下りようとして、転んだ。
Yukiが、助け起こしてくれた。笑っている。 「もし、ここが、死後の世界だとして、それでも死ぬのが怖いの?」
「ここは、死後の世界なのか?」
「どんな世界だって、結局は、夢なのよ?」
「どうして?」
「あなたが観ている世界だから、よ」
映画館が揺れているが、まるで世界そのものが揺れているかのようだ。
「揺れているのは、あなたなのよ」
「逃げよ?」
「いいわ。 私が逃がしてあげる。 私に乗って?」 Yukiが、背中を向けて、しゃがむ。
僕は、まるで母親に負(お)ぶさる幼い子供のようだ。でも、負ぶさると、急に安心する。
Yukiは、僕が背中に乗ると、両腕を広げて、バタバタし始めた。
「何しているんだ?」
「だから、逃がしてあげるのよ」
両腕のバタバタが、もの凄い速さだ。 ブンブンと唸(うな)りだした。
Yukiが青いトンボになっている。
「逃げるって、どこへ?」
「もちろん、この夢からよ」
Yukiは、映画館から飛び出すと、空へと舞い上がって行く。
僕は、Yukiが空を飛べるなんて知らなかった。
映画館から飛び出してみると、日記に読まれた人生のことは忘れた。 まるでベッドから飛び出したとたんに、忘れた夢のようだ。
生まれて初めてトンボに乗って、空を飛んだせいかもしれない。
確かに僕は、空を飛んでいる。
でも、考えれば、考えるほど、これは夢に違いなかった。
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