夏至
今日は夏至だそうです。
去年の今日、私は「夏至」という記事を書いています。
と、今私は、「去年の今日」という表現を取ってみましたが、去年の今日って一体何?
不思議な表現ですね。
実際に時間を過ごしているすべての日は、その時点において今日です。
これまで過ごしてきたその日、一日一日はその日時点において今日。
これから過ごしていく日々もその時点において今日になります。
そう考えてみると、去年の今日という日は、去年のすべての日がその日において今日だったことになります。
でも、そんなことを考える人なんてほとんど誰もいなく、去年の今日と言ったら去年の今日なんだ!みたいな考えの人ばかりです。
去年の今日ではなくて、去年の6月21日、とか、去年の同じ日付ってことでしょ?
そういえばいいのに去年の今日。
それは世の中の在り方として、そういう言い回しになってしまっているので、それで当たり前、それでいいのだってことですよね。
なんて硬直した思考の世の中なんだろうって私は思うんですけれど、こういう考えの私のほうが融通利かない人ってことなんでしょうか。
ま、多分そうですね。
すみません。
さて、今日はこんな感じで、「不思議な日本語」について、触れてみたいと思います。
不思議な日本語
例えば「それは立派な犯罪だ。」なんてよく言うけれど、それ、立派なの?って私は思ってしまいます。
犯罪ですよね。
犯罪が立派っておかしくネ?
明らかに犯罪だ。
紛うことなき犯罪だ。
が正しいのではないでしょうか。
立派な犯罪だなんて言ったら、犯罪行為が立派みたいじゃないですか。
あるいは、何か、いわゆる最悪と思われるような事態などあった時に、時々こんな言い方をする人を見負けます。
「最高に最悪だ。」
え。
最高に最悪?
それって、最悪の程度が最高であるというようなニュアンスなんでしょうけれど、最悪の形容に最高ってつけるのはおかしいでしょう。
そもそも、最悪と表現した時点で最も悪いっていうことなのだから、それより程度が低いものや事はないわけであって、それでもさらに程度の悪さを強調したいのであれば、最悪中の最悪、というような表現にすべきではないのでしょうか。
そして、最高に最悪、って言葉を使ってしまう人は、一番最悪、なんて言い方もしたりします。
最悪って最も悪いことでしょ。
一番悪いってことでしょ。
なんで、一番最悪って表現しちゃうの?
こんな風に思ってしまうんですが、そういう言葉を使う人たちっていうのは、多分、言葉を伝えたいのではなくて、気持ちを伝えたいんでしょうね。
きっと、その人なりの相当熱い気持ちを。
いや、単に言葉知らないだけだよ。
って、簡単に切り捨てちゃう人もいるかも知れませんね。
でも、ま、どっちでもいいかな?
面白ければそれでよいってことにしておきましょう。
ともあれ、さあ、夏至です。
今日は、夏に至ったよ!って日です。
となれば、今日は夏至を祝ってビールを飲みましょうか。
ええ、一番最高なビールを飲みましょう!
おしまい