さて、これから空路はるばる日本からインドへと旅立ちます。
その後、タイにも寄る予定なので、約2週間ほど日本を離れます。
ネット環境次第ですが、できる範囲にて現地レポートとしてブログやFacebookも更新していこうと思っていますが、環境が悪くしばらく更新できない場合は後日のお楽しみで・・・。
「泰平さん、ついにインドの聖地巡礼をされるのですね?」
インドに行くことを伝えてから、各方面よりそんなお声を頂きましたが、すいません、いつもながら聖地巡礼を意識した旅はしておらず、インドについても一番の楽しみはカレーでもあって、ほとんどインドのことも知りません。
でも、行ってみたい国の1つにインドは確かにありました。
ただ、エジプト同様にインドもちょっと「重たい(?)」ような直感があり、そんな気軽には行けないなって思っていたら、昨年頃から急に周囲が「インドづく」ようになりました。
知人が次々にインドに行ったり、インドとご縁がある人と出会ったり、道歩いていてもインド、本を読んでもインド・・・インドが日に日に近づいている不思議な感覚がありました。
すると、ある知人から
「インドに行きませんか?」
ついに、インドからのお呼び出し(?)がやってきました。
その知人は、日本の伝統芸能である「能」や文化の世界では超有名人、小鼓で昨年に人間国宝に選ばれた大倉流十六世宗家の大倉源次郎さんという方です。
「大きな使命いただいた」大倉源次郎、59歳で人間国宝に 能楽囃子方大倉流小鼓方
59歳の若さで人間国宝に認定されたばかり。「お受けして良いものか、相当悩んだ」と打ち明けるが、「後継者をしっかりと育て、能楽の和の心を広めていく、大きな使命をいただいたのだと思います」と重責への思いを口にした。
柔らかく響き、変化に富んだ音を持つ小鼓。大倉流十六世宗家の源次郎は、先代の大倉長十郎の次男として大阪に生まれ、幼少期から稽古を重ねた。28歳のときに父が死去。多くの流派と関わり勉強したいと考え、拠点を東京へ移した。
「60歳で亡くなった父の代わりに、同じ年頃の私が認定されたという思いが強い」。心に刻むのは、父が家訓のように口にした「能楽界の縁の下の力持ちとして頑張りなさい」という言葉だ。
約180センチの長身。繊細な音色を操る細長い指は、かつては苦労の種だったと明かす。手が小鼓のサイズに合わず、打ち方がなかなか定まらなかった。「細い指、音の軽さは私の欠点でしたが、手の大きな方々が上手に打ち込むのを見て学んだ。ハンディをプラスに変えることができた」
後進の育成に努め、初心者向けの普及活動にも尽力。欧米化する社会で能は継続できるのかと、学生時代から危機感を持ち続けてきたからだ。能とは「中世の動乱の中で、人々が平和に生きるために作られた芸能。戦のむなしさも描かれている」と説く。今の時代だからこそ、国内のみならず世界中に広めたい文化だと力強く語った。(産経ニュースより転載)
大倉さんとは、まだ2年か、3年ほどのお付き合いですが、ある日に国立能楽堂での舞台をご招待頂き、1度本場の能を見せてもらったことがあります。
能の世界は、まさに「雛形の世界、世界の雛形」であり、その中に目に見える世界と見えない世界の融合、陰陽統合や世界平和を伝える内容もあって、これぞ神事で、また誰が見てなくとも雛形演舞によって、世界に影響を与える最強のツールだと確信しました。
その後、地方の公演などもたまにお邪魔させて頂いたり、親睦を深めていたのですが、その大倉さんから、昨年末に突如のインドのお誘い・・・。
今回のインドの旅は、公なものでもなくプライベートな旅でありますが、それでもインドの寺院や領事館、大学などで奉納演奏もあったり、日本とインドの文化交流も兼ねての大事な旅のようであります。
これまでの海外ツアーとは一転、文化人の皆様との場違いな旅かもしれませんが、インドの聖地、インドの現地の人々との交流はとても楽しみなので、存分に楽しんでこようと思っています。
さて、カレーも気になる一方で、もう1つ気になるのは、インドとイエスの関わり。
ご存知の方もいるかもしれませんが、イエス・キリストの生涯の中で、13歳から30歳までの17年間に関する記録がなく、謎に包まれた期間となっています。
ユダヤ人の大工として普通の人で過ごしていたという説もあれば、この期間に日本をはじめ、世界を旅していたという伝説もあり、その中で有名な物語の1つに「聖イッサ伝」という、インドに訪れていたイエス・キリストの伝承があります。
聖イッサ伝とは、1887年にロシア人ジャーナリストのニコライ・ノトヴィッチが、北インドのラダックを訪れたラマ寺院に泊まった時、そこの長老から見せられた古い経典であります。
そこに記されたのは、イエス・キリストがイスラエルの地からインドに渡ってきて、聖人イッサと呼ばれて修行し、人々に啓蒙活動をしていた記録であったのでした。
聖イッサ伝の要約
12歳の時に、ユダヤ人の長老相手に議論をしていた少年イッサの噂は、瞬く間に広がった。
ユダヤの成人式を迎えた13歳のイッサのところには、いろんなところから縁談が持ち込まれた。
結婚する気がなかったイッサは、この騒動から逃れるために、旅に出る。
彼は、商隊と共にインドを目指した。
インドに到着した時、イッサは14歳になっていた。
不思議な子供の噂は、すぐに広がり、ジャイナ教徒から歓迎される。
その後、イッサはジャガンナートで、バラモン教を学ぶ。
祈祷や悪魔祓いの術も習得した。
こうして、イッサはラージャグリハ、ベナレスなどを歴訪し、6年間修業した。
貧しい人々と一緒に暮らし、聖典を研究した。
しかし、20歳の時、カーストの低い者たちといることをバラモン僧らに批判されると、人間は神の御前にあっては、みな平等であると答えた。
こうしたことが重なり、バラモン僧からの攻撃が激しくなると、イッサはヒマラヤへと移動する。
そしてルンビニーなどで、ブッダの教えを学び、修行を続ける。
28歳の時、下山する。
インドからペルシャへ行き、そこでゾロアスター教について人々と議論をする。
再び旅に出て、ついにパレスチナへ戻ってくる。
この時イッサ30歳であった。
知恵と人格を兼ね備え、神の教えを述べ伝えるために、公然と活動を開始するのである。
イエス・キリストは、少年から青年期にかけて、インドに渡って異教の影響を受けていた。
新約聖書の空白を埋める大発見として、この真実をヨーロッパ中に広めたニコライ・ノトヴィッチでしたが、この主張は激しく批判・否定され、聖イッサ伝の真相は、闇に葬られたままとなっています。
ただ、インドの一部では、わりと有名な話として、これが真実の伝説として語り継がれているようです。
イエス・キリストのインドとの繋がりは、この13歳から30歳までの時期に限らず、磔の処刑後、実は仮死状態で死んでおらず、回復した後にもインドへ訪れているという伝説も残っています。
そのままインドのカシミール地方で生涯を終えたという記述もあれば、その先のタイ、台湾、沖縄を経て、長崎から日本に上陸、そのまま四国の剣山を目指したという伝説もあります。
イエスがインドを目指したのは、ブッダの教えを学び、神の仕組みを完成させるためともありますが、さらに深読みをする説においては、彼は、自らの祖先であるユダヤの失われた10支族の足跡を辿り、彼らが本拠地としているヒマラヤ山脈を訪れることが目的だったともあります。
失われた10支族は、そのまま地下世界であるシャンバラ王国へと行き、シャンバラの本拠地はヒマラヤ山脈にあるので、イエスもそこで彼らと混じって修行をしたとか・・・。
そこで身につけた能力が、後にイスラエルへ戻った奇跡の数々に繋がってくると。
まぁ、そんなロマンの話は尽きないものですが、イエス・キリストとインドは、実はかなり深い繋がりがあり、過去4年連続イスラエルを訪れ、また日本でもイエスの足跡と呼ばれる各地を訪れた経緯もあって、今回もまたインドとイエスの繋がりを何か感じられたらとも思っています。
インドといえば、実はイエス・キリストともう1人気になる人物として関係するのがスサノオ。
「契丹古伝(きったんこでん)」という、日露戦争中に聖イッサ伝と同じくラマ教寺院に駐屯していた日本兵が、現地の軍人に見せられた古文書があります。
もとはある古陵墓より出土した秘物である契丹古伝は、10世紀に東丹国の耶律羽之によって撰録された漢文体の史書であり、そこには超古代の東アジアの歴史や地理が書かれていました。
「世界は1人の王によって束ねられていた。その王はインドに住み、その名をスサダノミコト(スサノオ)という」
そこには、スサノオ(スサの王)と思われる世界統一王の存在が書かれており、その王はインドを拠点にしていたと書かれています。
この話は日本の伝承ではなく、海外の古文書に書かれていたので、捏造されたものとは考えにくく、また最近になって古代出雲族の直系の末裔が、先祖代々「語り部」という口伝形式で伝えられた出雲族の歴史を公開することに踏み切りましたが、出雲4500年の歴史においても、出雲族は、そもそも縄文古来からの民族ではなく渡来人であり、彼らは古代インドからやってきたと伝えられています。
インドからモンゴルのゴビ砂漠、そしてロシアのバイカル湖、アムール川を経由して日本列島にやってきたと・・・。
イエス・キリスト、そしてスサノオ。いずれも牛頭天王と称されるケースが多いお二方ですが、どちらもインドと深い深い繋がりがあるのは間違いなそうです。
日本列島は世界大陸の雛形論でいくと、インドは静岡。
いずれもお茶が名産、富士山はエベレスト、インド大陸も伊豆半島も大陸移動でユーラシア(本州)大陸とくっついたことなども考えると、確かにシンクロするものがあります。
ちなみに、ここ八ヶ岳のある山梨県はネパールとブータン。後ほど立ち寄るタイは、東京とリンクするとも言われています。
確かにタイ王室は、世界の王族貴族の間では、極めて大きな力と資金を持っており、ある意味世界の中心の1という見方をすることもできます。
とはいえ、難しい話は別にして、純粋にインドの旅を楽しんできます。
それでは、次回の更新はインドで。