今年は7年に1度の諏訪大社の大祭「御柱祭」 | 天下泰平

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「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)

聖書の最初の一節にある天地創造があったのは、紀元前3761年10月7日とされており、この日を紀元とする「ユダヤ暦(ヘブライ暦)」では現在は2015年9月14日から始まったユダヤ暦5776年

ムハンマドがメッカからメジナに移ったユリウス暦622年を紀元としている「イスラム暦(ヒジュラ暦)」では、現在は2015年10月15日から始まったイスラム暦1437年となっています。

ユダヤ暦は、月の運行に応じて作成される「太陰暦」に季節とのずれを「閏月」「閏年」を挿入して調整する「太陰太陽暦」であり、イスラム暦は太陰暦なのでユダヤ暦とは毎年11日ほどずれが生じており、この2つの暦は31年~32年ほどの周期で同じ日に新年を迎える年があります。

ユダヤ暦とイスラム暦。

ユダヤ人(ユダヤ教)とアラブ人(イスラム教)の宗教間では、両極にあって犬猿の中にある2つの民族・宗教の次の新年が重なる年は今年であり、2016年10月3日(正確には前日の日没より)よりユダヤ暦は5777年、イスラム暦は1438年が始まります。

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旧約聖書に登場する人類の祖「アブラハム」の正妻サラがイサクを生み、このイサクがユダヤ人の祖先となって、やがてイエス・キリスト(キリスト教)も誕生していますが、イサクが生まれる前にアブラハムの女奴隷であったハガルとの間に生まれたのがイシュマエルという子供であり、そのイシュマエルがアラブ人の祖先となって、やがてムハンマド(イスラム教)が生まれています。

そういった意味では現代における宗教戦争の原点は、異母兄弟における兄弟喧嘩のようなもの。

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イサクもイシュマエルも、まさか自分たちの末裔が数千年後にまで渡ってお互い殺しあい、世界大戦までを引き起こそうとは夢にも思ってもなかったかもしれませんが、最初はほんの数人の親戚同士の喧嘩であったとしても、子孫が増えるにしたがって一族から民族同士の対立、やがては国家を超えた宗教同士の大戦争にまで発展したりと、分離の時代のネガティブ因子は、時間の流れとともに増幅され続け、最終的には文明全体にまで影響を与えるほどにもなります。

これは何も遠い外国の宗教間の話題、遥か大昔の話題でもなく、どの国の現代人にも当てはまることであり、今は小さな家族間の問題(トラブル)でも、時代の流れとともに同じ問題を共有する人の数が増えれば同じようなことはいくらでも起こる可能性はあるので、やはり何事も身近なところの和合や調和がとても大切なことであると思います。

2016年秋、対立する2つの宗教暦が久しぶりに同時にスタートするタイミングであり、この時期をきっかけに宗教戦争も終焉に向けて進み始めることを願っています。

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イサクの燔祭(はんさい)
これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が「はい」と答えると神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。
「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。
「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」
二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。(創世記 22章1-14節)

ところで、イサクといえば何と言っても有名なのは八ヶ岳西麓の諏訪大社

「なぜ聖書の物語が日本の諏訪大社と関係するのか?」

といえば、このイサクの燔祭で有名な物語と同じ祭事を伝統的にしているのが、古代イスラエルの聖地と同じ名称の「守屋山(モリヤ)」をご神体としている長野県の諏訪大社であるからです。

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その祭事の名前は毎年4月15日に行われる「御頭祭(おんとうさい)」

イサクの燔祭では、羊が代わりに生け贄となって神に捧げられましたが、この御頭祭では羊の代わりに鹿が生け贄となって神に捧げられます。

また江戸時代以前の御頭祭では、「おこう」(御神とか神使と書く)と呼ばれる役割の“少年”が登場し、「御贄柱(おにえばしら)」とも呼ばれる柱に“縛り”つけられて生け贄役となっていました。

人々は少年を柱ごと竹のむしろの上に押し上げ、そこには小さな“刃物”も登場しますが、そこで諏訪の国の司からの使者や神官が現われ、その後に縛られていた少年は解き放たれます。

少年を縛って生贄にし、刃物を用いて殺めるところを救われる。そのまま「イサクの燔祭」の内容であります。

そんな古代イスラエル、聖書とも非常に関係が深い諏訪大社では今年も1ヶ月後に御頭祭がありますが、今年2016年は諏訪大社にとっては特別な年でもあります。

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それは7年に1度の大祭「御柱祭」があるからです。

御柱祭とは、山の中から選ばれた樹齢150年を優に超えるモミの大木16本が御柱となり、里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てられる、正式名称は「式年造営御柱大祭」というお祭りです。

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最大斜度35度、距離100mを大木にまたがった人々が下ってくる映像をテレビなどでも見たことがあるかもしれませんが、毎回怪我人や死者までも出る危険極まりない諏訪の名物祭りが今年は4月から6月にかけて開催されます。

この「柱を山から滑り落とす儀式」は、古代ユダヤ王国のソロモン王が神殿を立てるとき、レバノンのツロのヒムラ王からレバノンの杉の木を買い取って、遠路エルサレムまで運んだ大事業の伝承に由来するとも言われています。

「7年に1度」という周期もまたユダヤとの関係しており、ユダヤ教の中では創造主なる神が6日間の天地創造を終えられ、7日目にすべてのわざを完成されて休まれた日として「安息日(シャバット)」があり、同じように「7年に1度」という7の周期で作付けをやめて土地を休ませ、負債を免除する「安息年(シェミッター)」という伝統があります。

この7年に1度の周期を7回繰り返すと49年のワンサイクルであり、その翌年50年目の1年が「ヨベルの年」という奴隷などのすべてが解放される特別な周期もありますが、現在のユダヤ暦5776年は、その50年に1度のヨベルの年であり、今年の御柱祭はヨベルの年とも重なる特別なものになります。

7年に1度の大祭ということであり、この御柱祭は毎回全国より大勢が集まるので見学も抽選のチケット制となっていますが、なんとか二次募集の抽選で席が確保できたので、今年は下社の御柱祭を見学してきます。

御柱祭は夏至の直前まで続きますが、この先の世界の宗教の統合に向けた核となる日本とユダヤの統合の大祭となることでしょう。