私たちは、ときどき「自分の価値」を、他人の評価で測ってしまいます。
誰かに必要とされること。
褒められること。
認められること。
お金を稼ぐこと。
有名になること。
異性から愛されること。
会社から評価されること。
SNSで「いいね」をもらうこと。
人から注目されること。
こうしたものが増えるほど、「自分には価値がある」と感じることがあります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
人間の価値は、誰かからどれだけ求められているかによって決まるものなのでしょうか。
そうではないはずです。
人間には、誰かに必要とされなくても、誰かに褒められなくても、誰かにお金を払ってもらわなくても、生まれながらにして尊厳があります。
その尊厳は、他人から与えてもらうものではありません。
そして、本来なら誰にも奪われてはいけないものです。
人は「価値がある人間」ではなく、「価値のある商品」になってしまう
社会には、人の弱さや欲望を利用して利益を得ようとする人がいます。
それは、特別な悪人だけではありません。
「これをすれば、もっと稼げますよ」
「あなたなら人気者になれます」
「みんながあなたを必要としています」
「今しかできません」
「これくらい普通です」
「嫌なら辞めればいい」
「みんなやっています」
そんな言葉によって、人の心を動かそうとすることがあります。
そこには、人間を一人の人間として見るのではなく、**「どうすればこの人から利益を生み出せるか」**という視点が存在することがあります。
若いから利用する。
優しいから利用する。
断れないから利用する。
お金に困っているから利用する。
承認を求めているから利用する。
孤独だから利用する。
仕事を失うのが怖いから利用する。
立場が弱いから利用する。
人間の弱さは、本来なら守られるべきものです。
しかし、その弱さを見つけて利用し、利益に変えようとする人もいます。
そこに、人間を「商品」として見る目が生まれます。
利用する側は、なぜ人を利用できるのか
人を利用する側の心には、さまざまなものがあるでしょう。
お金が欲しい。
成功したい。
自分だけが得をしたい。
競争に勝ちたい。
会社の利益を上げたい。
自分の評価を上げたい。
あるいは、「自分もそうしてきたのだから、相手も同じでいい」と考えているのかもしれません。
しかし、もっと恐ろしいのは、相手を「人間」として見なくなることです。
そこにいるのが、一人の人間ではなく、
「売上」
「数字」
「契約」
「フォロワー」
「アクセス数」
「成績」
「労働力」
「顧客」
という数字に見えてしまう。
そうなると、その人が傷ついていることより、数字が伸びていることのほうが重要になります。
本人が苦しんでいても、
「結果が出ているからいい」
となってしまう。
本人が疲れていても、
「仕事だから仕方ない」
となってしまう。
本人が「もう無理です」と言っても、
「代わりはいくらでもいる」
となってしまう。
ここまで来ると、人間関係ではなくなります。
人間を、人間として扱っていないからです。
「利用される人」にも理由があるとは限らない
人が利用されるのは、その人が弱いからだけではありません。
真面目な人も利用されます。
優しい人も利用されます。
責任感の強い人も利用されます。
人を信じる人も利用されます。
「迷惑をかけたくない」と考える人も利用されます。
「期待に応えたい」と考える人も利用されます。
「嫌われたくない」と考える人も利用されます。
そして、人生経験が少ない若い人も利用されることがあります。
だから、
「騙されるほうが悪い」
「嫌なら断ればいい」
「本人が選んだことだから自己責任」
という言葉だけでは、本質を捉えられないことがあります。
人間は、常に冷静で合理的な判断ができるわけではありません。
お金に困れば判断を誤ることがあります。
孤独になれば誰かを信じたくなることがあります。
認められなければ、認めてくれる人に依存したくなることがあります。
疲れていれば、断る力がなくなることがあります。
追い詰められれば、「今さえ何とかなればいい」と思うこともあります。
だからこそ、社会には人の弱さにつけ込まない倫理が必要なのです。
「今の自分」と「未来の自分」は同じではない
人生の選択をするとき、忘れてはいけないことがあります。
それは、
今の自分と、10年後の自分は同じ人間であっても、同じ価値観ではない
ということです。
20歳の自分と30歳の自分。
30歳の自分と40歳の自分。
40歳の自分と60歳の自分。
人生経験を積めば、考え方は変わります。
だからこそ、今だけを見て決めてはいけないことがあります。
「今、お金になるから」
「今、人気があるから」
「今、必要とされているから」
「今、会社から評価されているから」
「今、相手に愛されているから」
それだけで人生を決めてしまうと、未来の自分がその選択の影響を受けることがあります。
一時的な利益と引き換えに、未来の自由を失ってしまうこともあります。
一時的な承認と引き換えに、自分自身への自信を失ってしまうこともあります。
一時的な人間関係を守るために、自分の心を傷つけてしまうこともあります。
だから大切なのは、
「今の自分は、この選択を10年後の自分に見せても納得できるだろうか」
と考えることです。
本当に怖いのは、自分自身を「商品」だと思ってしまうこと
利用され続けると、さらに恐ろしいことが起こる場合があります。
最初は他人から利用されていただけなのに、いつの間にか自分自身まで、
「自分には、これだけの価値しかない」
と思ってしまうことです。
若いから価値がある。
美しいから価値がある。
仕事ができるから価値がある。
お金を稼げるから価値がある。
人から愛されるから価値がある。
会社に必要とされているから価値がある。
SNSで人気があるから価値がある。
そう思っていると、その条件がなくなったとき、自分の価値までなくなったように感じてしまいます。
しかし、それは違います。
若さがなくなっても、人間の価値はなくなりません。
仕事を失っても、人間の価値はなくなりません。
会社を辞めても、人間の価値はなくなりません。
人気がなくなっても、人間の価値はなくなりません。
誰からも注目されなくても、人間の価値はなくなりません。
誰かに愛されなくても、人間の価値はなくなりません。
あなたは、何かを生み出すために存在しているのではありません。
誰かの欲望を満たすために存在しているのでもありません。
誰かの期待に応えるためだけに存在しているのでもありません。
あなたは、あなたとして生きるために存在しています。
自分の尊厳を守れるのは、自分自身
もちろん、自分の人生は自分で決めなければなりません。
誰かが一生、自分を守ってくれるわけではありません。
だからこそ、自分自身が自分の心を守る力を持つことが大切です。
「これは自分を傷つけていないだろうか」
「この人は、自分を一人の人間として尊重しているだろうか」
「この仕事を続けた先に、自分は幸せになれるだろうか」
「お金を失うことより、自分の心を失うことのほうが怖くないだろうか」
「嫌われることより、自分自身を嫌いになることのほうが怖くないだろうか」
「今の選択を、未来の自分は納得して受け入れられるだろうか」
そうやって、自分自身に問いかけることです。
そして、
「嫌です」
「できません」
「それはしたくありません」
「私はこう生きたいです」
と言う勇気を持つことです。
これはわがままではありません。
自分の尊厳を守るために必要なことです。
「断ること」を教えるのも教育
子どもたちに教えるべきことは、勉強や仕事の知識だけではありません。
人から愛される方法だけでもありません。
お金を稼ぐ方法だけでもありません。
もっと大切なことがあります。
「あなたは、嫌なことを嫌と言っていい」
ということです。
「利用されなくていい」
「無理に期待に応えなくていい」
「嫌われてもいい」
「逃げてもいい」
「助けを求めてもいい」
「自分の身体を大切にしていい」
「自分の心を守っていい」
「自分の人生を自分で決めていい」
そう教えることです。
それこそが、人間の尊厳を守るための教育なのではないでしょうか。
そして、大人にも責任がある
若い人に、
「自分で決めたんだから自己責任」
と言うだけではいけません。
大人には、未来を想像する経験があります。
失敗した経験があります。
人間関係の怖さも知っています。
お金の怖さも知っています。
仕事の怖さも知っています。
世の中には、人の弱さにつけ込んで利益を得ようとする人がいることも知っています。
だからこそ、大人は若い人に、
「今だけではなく、その先を考えてごらん」
と伝えることができます。
「その選択をした10年後の自分はどうなっている?」
「本当に自分が望んでいる人生なの?」
「誰かに言われたからではなく、自分自身が納得している?」
と問いかけることができます。
止めることだけが正解ではありません。
本人が自分で考え、自分で選び、自分自身を守れるようにすること。
それが大人の役割なのだと思います。
人を利用する側にも、心はある
そして、最後に忘れてはいけないことがあります。
人を利用する側も、同じ人間です。
利益を得ることだけを考えていると、いつの間にか相手の痛みが見えなくなることがあります。
「この人がどうなるか」ではなく、
「自分はいくら儲かるか」
だけを見るようになる。
しかし、その瞬間に自分自身の心も少しずつ失われていくのではないでしょうか。
人を傷つけても平気になる。
人が泣いていても気にならなくなる。
人を辞めさせても数字だけを見る。
人の弱さを見つけると、それを利用する方法を考える。
そうなってしまえば、お金を得ることには成功しても、人間として大切なものを失っているかもしれません。
人の尊厳を奪いながら、自分の心だけは傷つかない。
そんなことは、本当に可能なのでしょうか。
人間を「人間」として見る社会へ
私たちは、あまりにも多くのものを「価値」で測るようになりました。
いくら稼ぐのか。
何人のフォロワーがいるのか。
どれだけ売れるのか。
どれだけ美しいのか。
どれだけ若いのか。
どれだけ会社に貢献できるのか。
どれだけ人から必要とされているのか。
しかし、人間まで同じ尺度で測ってしまったら、社会はどこかで壊れてしまいます。
人間は商品ではありません。
人間は数字ではありません。
人間は労働力でも、フォロワー数でも、性的な価値でもありません。
誰かに利用されるために生まれてきた人はいません。
誰かの利益のために、自分の尊厳を差し出す必要もありません。
そして、もし過去に誰かに利用されたとしても、それでその人の人生の価値がなくなるわけでもありません。
人は、何度でも自分の人生を取り戻すことができます。
過去にどんな選択をしたとしても、そこから自分を大切にする人生を始めることはできます。
だからこそ、今を生きる私たちが伝えたいことがあります。
あなたの人生は、誰かの欲望を満たすための商品ではありません。
誰かに消費されなくても、あなたには最初から人間としての価値があります。
若さを失っても、仕事を失っても、人気を失っても、誰かから必要とされなくなっても、あなたの尊厳まで失われることはありません。
だから、目の前の利益や一時的な評価のために、未来の自分を傷つけないでほしい。
誰かに利用されそうになったら、一度立ち止まってほしい。
自分の心に問いかけてほしい。
「私は、本当にこの人生を生きたいのだろうか」
そして、どうか覚えておいてほしい。
自分の心を守ることは、逃げることではありません。
自分を大切にすることは、わがままではありません。
自分の尊厳を守ることは、人間として生きるための大切な権利です。
一時的に誰かから必要とされる人生よりも、
誰に見られていなくても自分自身を大切にできる人生。
誰かに消費される人生よりも、
自分らしく、穏やかな心で生きられる人生。
そのほうが、長い人生において、ずっと大切なのではないでしょうか。
私たちが次の世代に伝えるべきなのは、
「どうすれば人から価値があると思われるか」
だけではありません。
「あなたは、誰かに価値を認めてもらわなくても、最初から価値のある人間なのだ」
ということなのだと思います。
そして、それを知っている人が増えれば、人を利用して利益を得る社会から、人を尊重して支え合う社会へ、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
