人はなぜ傲慢になってしまうのでしょうか。
最初から傲慢な人など、実はほとんどいないのかもしれません。
誰もが最初は不安を抱え、失敗を恐れ、人に教えを請いながら生きています。
しかし、仕事で成果を出したり、役職が上がったり、お金を得たり、人から評価されたりすると、少しずつ周囲の景色が変わり始めます。
以前は対等だった人たちが頭を下げるようになり、自分の意見が通るようになり、反対意見を言う人が減っていきます。
そして、いつしか「自分が正しい」と思うようになります。
最初は感謝していた成功も、やがて自分の実力だけで得たもののように感じ始めます。
本当は多くの人の支えや環境のおかげで得られたものだったとしても、そのことを忘れてしまうのです。
さらに怖いのは、人は環境に慣れる生き物だということです。
最初は違和感を覚えていたことも、毎日繰り返し見聞きしているうちに、それが当たり前になってしまいます。
上から目線の態度も、身内びいきも、理不尽なルールも、最初はおかしいと思っていたはずなのに、気がつけば何も感じなくなります。
そして、自分がかつて嫌だと思っていたことを、自分自身が行うようになることさえあります。
人は悪意によって変わるのではありません。
多くの場合、慣れによって変わるのです。
また、人は自分の力と、自分が所属している組織や立場の力を混同しやすいものです。
大きな会社にいる人は会社の力を、自分の力だと思ってしまうことがあります。
権限を持つ人は役職の力を、自分の人格の価値だと錯覚してしまうことがあります。
しかし、その立場を離れたとき、本当に残るものは何でしょうか。
肩書でしょうか。
権力でしょうか。
お金でしょうか。
それとも、人として積み重ねてきた信頼でしょうか。
私たちは時々、自分自身に問いかける必要があります。
もし肩書がなくなったら、自分はどんな人間だろうか。
もし会社がなくなったら、自分は何を残せるだろうか。
もし誰も自分に頭を下げなくなったら、自分は同じ態度で人と接するだろうか。
人は誰でも、自分だけは大丈夫だと思っています。
しかし、本当に危険なのは、自分が変わってしまったことに気づけなくなることです。
だからこそ、自分を疑うことは大切です。
自分は間違っているかもしれない。
見えていないことがあるかもしれない。
周りの人のおかげで今の自分があるのかもしれない。
そう考えられる人は、たとえ成功しても謙虚さを失いにくいのだと思います。
人を見下さないこと。
自分の立場と自分自身を混同しないこと。
そして、どれだけ年月が経っても、最初に抱いていた違和感や感謝の気持ちを忘れないこと。
それは他人のためではなく、自分自身が傲慢さに飲み込まれないために必要なことなのかもしれません。
