社会には、さまざまな仕事があります。
農業、漁業、林業、建設業、製造業。
そして流通、商社、小売、金融、IT、コンサルタント。

どの仕事も社会にとって必要な役割を持っています。
しかし、よく考えてみると、すべての仕事はある前提の上に成り立っています。

それは、「誰かが何かを作っている」という前提です。

食べ物を作る人がいる。
服を作る人がいる。
家や道路を作る人がいる。
機械や道具を作る人がいる。

その上に、運ぶ人がいて、売る人がいて、資金を動かす人がいて、経営を助言する人がいます。

もしも、作る人がいなかったらどうなるでしょうか。

農業をする人が一人もいなければ、食べ物はありません。
工場がなければ、服も機械もありません。
建設をする人がいなければ、家も橋も道路もありません。

売るものがなければ、商売は成り立ちません。
お金を貸す先もなくなります。
経営を助言する対象もなくなります。

つまり社会は、本来「価値を生み出す仕事」を土台にして成り立っています。

農業や漁業や林業。
ものづくりや建設。

こうした仕事は、ゼロから実体のある価値を生み出します。

食べ物。
衣服。
住まい。
道具。

人間が生きるために欠かせないものです。

一方で、流通や金融やコンサルタントなどの仕事は、すでに存在する価値を動かしたり、効率よく届けたりする役割を持っています。

どちらも必要です。
しかし本来は、価値を生み出す人たちが中心にいて、その周りに支える仕事があるという形が自然な姿です。

ところが今、世界の多くの社会で、このバランスが少しずつ崩れてきています。

農業や漁業、林業、建設業、製造業は、若い世代から人気が高い仕事とは言えなくなりました。

一方で、金融、コンサルティング、IT、投資、M&Aといった仕事に、多くの人が魅力を感じています。

もし仮に、農業をする人が一人しかいなくて、コンサルタントが九十九人いたらどうなるでしょうか。

コンサルタントは、農業をしている一人に助言をするかもしれません。
そのコンサルタントをさらに助言するコンサルタントが現れるかもしれません。
さらに、そのコンサルタントを助言するコンサルタントも出てくるかもしれません。

やがて、コンサルタントのコンサルタントのコンサルタントのコンサルタントが生まれるでしょう。

しかし最後に残るのは、食べ物を作っている一人の農家です。

もしその農家がいなくなったら、すべてのコンサルタントは成り立たなくなります。

社会の価値は、どこかで誰かが「何かを作る」ことから始まるからです。

それなのに現代社会では、実際に作る人よりも、その周囲で価値を動かす人たちの方が、より大きな利益を得る構造になっていることがあります。

金融市場では莫大なお金が動きます。
企業の価値は株価で評価されます。
短期の利益が重視されることも少なくありません。

その結果、ものづくりや一次産業の利益が薄くなり、働く人が減ってしまうことがあります。

もしこの流れが続けば、社会は次第に土台を失っていきます。

作る人が減れば、食べ物も物資も不足します。
技能や技術も失われていきます。
社会は、数字だけが動く世界になってしまうかもしれません。

しかし、本当の豊かさとは何でしょうか。

それは、安心して食べられる食料があること。
安心して住める家があること。
日々の暮らしを支える物が、誰かの手によって丁寧に作られていること。

そうした当たり前の土台があるからこそ、人は安心して暮らすことができます。

農業や漁業や林業。
建設や製造。
ものを作る人たちは、社会の一番深いところで命と暮らしを支えています。

もし社会が長く続いていくのであれば、こうした仕事をしている人たちが、正当に報われる仕組みでなければなりません。

価値を生み出す人が、尊重され、誇りを持てて、しっかりと生活できる社会。

それを支える仕事が、その周りで役割を果たす社会。

そのようなバランスの取れた社会こそが、本来の健全な姿なのではないでしょうか。

社会は、誰かの努力と仕事によって支えられています。

目立たない場所で、土を耕し、海に出て、木を育て、機械を作り、建物を建てている人たちがいます。

そうした人たちがいて初めて、私たちの暮らしは成り立っています。

社会のあり方を考えるとき、もう一度その原点に目を向けることが大切なのかもしれません。

本当に大切なものは何なのか。
社会の土台を支えているのは誰なのか。

そのことを静かに考え直す時期に、私たちは来ているのかもしれません。