なぜ人は、依存症になってしまうのでしょうか。
なぜ「やめよう」と思っているのに、やめられなくなるのでしょうか。
それは意志が弱いからではありません。
人格に欠陥があるからでもありません。
依存の正体は、「快楽を求める病」ではなく、「苦痛から逃れようとする仕組み」です。
最初の一歩は、とても軽いものです。
好奇心。
みんながやっているから。
少しだけ楽になりたかったから。
一度くらいなら大丈夫だと思ったから。
そのとき人は、快楽を求めているように見えます。
しかし深いところでは、「今の苦しさを消したい」と願っています。
強い不安。
孤独。
自己否定。
将来への恐れ。
満たされない感覚。
その痛みを一時的に静めてくれるものに出会ったとき、脳はこう学習します。
「これが救いだ」と。
薬物でも、アルコールでも、ギャンブルでも、SNSでも、買い物でも構造は同じです。
それらは脳の報酬系に強い刺激を与えます。
ドーパミンという神経伝達物質が大量に分泌されます。
すると、強い快感や安心感が生まれます。
問題はここからです。
脳は「強い刺激」を基準に書き換えられていきます。
本来なら喜びを感じられたはずのこと…
人との会話、達成感、自然の美しさ、小さな成功…
それらでは物足りなくなってしまいます。
刺激に慣れ、耐性ができ、
同じ量では足りなくなり、
より強い刺激を求めるようになります。
そして、やめようとすると強い不快感が襲います。
不安。
焦燥感。
空虚感。
身体的な苦痛。
ここで重要なのは、依存は「気持ちよくなるため」ではなく、
「つらさを避けるため」に続いていくということです。
最初はプラスを求めていたのに、
途中からはマイナスを避けるための行動に変わります。
これが、やめられなくなる構造です。
さらに深いところでは、依存は「つながりの代わり」でもあります。
本来、人は
安心できる誰かとの関係、
自分は必要とされているという感覚、
役割や居場所を感じられる環境の中で安定します。
それが弱まったとき、
心に空白が生まれます。
依存対象は、その空白を一時的に埋めます。
孤独を忘れさせ、
不安を静め、
自分を少しだけ肯定できる感覚をくれる。
だからこそ、手放すのが怖くなるのです。
依存している人は、弱いのではありません。
むしろ、生き延びるために必死に何かを握りしめています。
問題は、「握っているもの」が心と脳をさらに傷つけてしまうことです。
依存から抜け出すために必要なのは、
強い根性でも、恥をかかせることでもありません。
必要なのは、
苦しさを安全に吐き出せる場所、
安心できる人とのつながり、
小さくても本物の達成感、
そして「そのままで価値がある」と感じられる経験です。
依存は、快楽の問題ではありません。
孤立と痛みの問題です。
もし、何かをやめられずに苦しんでいる人がいるなら、
それは意志の弱さではなく、
心が限界まで頑張ってきた証かもしれません。
依存の奥には、必ず理由があります。
その理由に優しく光を当てることが、回復の始まりです。
人は、つながりの中で癒えていきます。
誰かに理解されることから、少しずつ自由を取り戻していきます。
依存を責めるよりも、
その奥にある痛みに目を向けること。
そこから、本当の回復は始まります。
