事業で成功した人の話を聞くと、
なぜか心がざわつくことがあります。
お金を稼ぎ、自由に生き、
「こうすれば成功できる」と語る姿を見ても、
羨ましさよりも、
言葉にできない違和感が残ることがあります。
その感覚を、
ひねくれや嫉妬だと片づけてしまった人もいるかもしれません。
努力が足りないのかと自分を責めた人もいるかもしれません。
けれど、その違和感は、
間違いでも弱さでもありません。
とても人間的で、誠実な感覚です。
事業で大きな成果を出す人の中には、
人生の価値を「結果」や「数字」に強く結びつけている人がいます。
成果はわかりやすく、
他人に説明しやすく、
自分自身を安心させてくれます。
一方で、家族や恋愛、信頼やつながりといったものは、
思い通りになりません。
努力がそのまま報われるとは限りません。
自分の弱さや不完全さが、否応なく表に出てしまいます。
だから人は、無意識のうちに選びます。
傷つきやすい場所から距離を取り、
コントロールできる世界に力を注ぐことを選びます。
成功や事業に強く執着する生き方は、
冷たさから生まれるものではありません。
多くの場合、恐れから生まれています。
認められなかった過去。
価値がないと感じた経験。
何者かでいなければならないという不安。
それらを打ち消すために、
成果を積み上げ、
成功している姿を示し続けます。
やがて、
「成功している姿」を見せること自体が役割になります。
その役割から降りられなくなっていきます。
弱っている姿を見せられません。
迷っていると言えません。
立ち止まることが許されなくなります。
それは自由に見えて、
とても窮屈な状態です。
一方で、
その語りに違和感を覚える人たちがいます。
努力しても報われない時間を知っている人。
割り切れない感情を抱えたまま生きてきた人。
結果が出なくても、人の価値は消えないと、
どこかで知っている人たちです。
そうした人は、
成功の話を聞いたとき、
数字の裏側を感じ取ってしまいます。
語られなかった迷い。
置き去りにされた感情。
成果の影で切り落とされたものです。
だから、羨ましさより先に、
静かな哀しさのようなものを感じてしまいます。
それは見下しているからではありません。
優越感でもありません。
人間を、成果だけで見ていないからです。
世の中では、
行動できる人、勝てる人、強い人の声が大きくなりがちです。
けれど、
不安を抱えながら歩いている人がいます。
答えが出ないまま考え続けている人がいます。
強くなれない自分を抱えたまま、
それでも誠実であろうとする人がいます。
そうした人たちも、確かに生きています。
違和感を覚える感覚は、
その人たちの存在を、無意識に守ろうとする心です。
成功していなくても、
迷っていても、
立ち止まっていても、
人間としての価値は失われません。
その感覚を、
まだ手放していないということです。
だから、
成果だけを誇示する言葉に、
何かが足りないと感じます。
それは欠点ではありません。
人間を丸ごと見ようとする視点です。
強さを競う世界とは、
少し違う場所から、
人生を見つめているということです。
その違和感は、
社会にとって不都合かもしれません。
けれど、人が人でいるために、
とても大切な感覚です。
そのまま抱えていて大丈夫です。
そのまま歩いていって大丈夫です。
同じ感覚を持つ人は、
思っている以上に多くいます。
この言葉が、
静かに誰かの心に届くことを願っています。
