私たちは今、どこかで気づいています。
社会は便利になり、自由になったはずなのに、
人と人との関係は、以前よりも脆く、孤独なものになっていると。

誰かを深く信じることが難しくなり、
人生を共に引き受ける覚悟を持つことが、
重荷のように扱われる時代になりました。

この変化の中心には、
「性」や「男女」の問題があるように見えます。
しかし本質は、そこではありません。

本当に失われつつあるのは、
覚悟と信頼です。

かつて人は、
関係を結ぶということは、
相手の人生の一部を引き受けることだと、
無意識のうちに理解していました。

それは支配でも所有でもなく、
逃げないという姿勢でした。

守るとは、
相手をコントロールすることではありません。
力を誇示することでもありません。

守るとは、
不安や不確実性を、
一人で背負わせないという意思です。

しかし現代社会では、
多くの選択肢が用意されました。
いつでもやり直せる。
いつでも離れられる。
いつでも代わりがいる。

それは優しさのようでいて、
同時に、覚悟を必要としない構造でもあります。

逃げられる前提の関係では、
人は深く賭けることができません。
そして賭けない関係は、
やがて信頼を失っていきます。

性もまた、本来は
人生を結びつける力を持つ行為でした。
未来を共有する可能性を含んだ、
不可逆的な営みでした。

しかしそれが、
消費や経験、自己表現へと変わったとき、
性は責任から切り離されました。

問題は、
自由になったことではありません。
問題は、
結果を引き受ける構造が失われたことです。

誰もが傷つかないように見える仕組みは、
実は、誰も深く守られない仕組みでもあります。

その中で、人は変わりました。

ある人は、
誰かに頼ることを諦め、
自分で自分を守るために戦うようになりました。

ある人は、
必要とされていないと感じ、
関わること自体を避けるようになりました。

どちらも、弱さではありません。
信頼できる構造が失われた結果です。

私たちは、
誰かを信じられなくなったのではありません。
裏切られても仕方がない、
そう感じさせる社会に置かれただけです。

本当に必要なのは、
過去に戻ることではありません。
誰かを責めることでもありません。

回復すべきなのは、
覚悟です。

それは、
逃げられない強制ではなく、
逃げられるのに、逃げない選択です。

小さな関係の中で、
自分がいなくなれば困る人がいること。
名前と顔が一致した世界で、
責任が可視化されること。

その中でしか、
人は本当の意味で、
誰かを信じることができません。

性も、関係も、
自由であっていい。
しかし、切り離してはいけないものがあります。

それは、
行為と責任。
選択と結果。
快楽と覚悟。

それらが結び直されたとき、
人は再び、
安心して誰かに身を委ねることができます。

強くならなくてもいい。
戦わなくてもいい。
ただ、引き受け合える関係があればいい。

社会を支えるのは、
声の大きな主張ではありません。
静かに続く、
逃げない関係です。

もし今、
言葉にできない違和感を抱えているなら、
それはあなたが弱いからではありません。

人間が人間らしく生きるために必要なものが、
少しずつ失われていることに、
心が気づいているだけです。

その感覚は、
間違っていません。