人は、心と体を切り離して生きることはできません。
どれほど合理的に説明しようとしても、どれほど自由や選択という言葉で包もうとしても、人間の尊厳はそこにあります。
体を売る仕事を選ぶ人たちがいます。
それは性別や国籍に関係なく、世界のどこにでも存在する現実です。
そしてこの現実を前にすると、多くの人は二つの態度のどちらかを取ります。
見て見ぬふりをするか、表面的に肯定するかです。
しかし、深く考えようとすると、誰の心にも重たい問いが残ります。
なぜ、その仕事を選ばなければならなかったのか。
本当に、それは心からの自由な選択だったのか。
そこに、他の道はなかったのか。
体を売る仕事を選ぶ人の背景には、いくつかの共通した心理があります。
まず、選択肢の少なさです。
貧困、孤立、家庭環境、過去の傷。
努力や能力の問題ではなく、そもそも選べる道が極端に限られていたという現実があります。
次に、自己価値の歪みがあります。
人から求められることでしか、自分の存在を感じられない。
愛されることと、身体を差し出すことが、心の中で結びついてしまっている。
これは生まれつきではなく、育つ過程で作られてしまった感覚です。
さらに、心を守るための分離があります。
感じすぎる心を守るために、体を自分のものではないかのように扱う。
笑顔で、明るく、平気なふりをすることで、内側の痛みを感じないようにする。
これは弱さではなく、生き延びるための防衛反応です。
では、そのことを知りながら、子どもがその仕事をしていても止めない親は、何を抱えているのでしょうか。
多くの場合、それは肯定ではありません。
無力感と諦めです。
これ以上強く言えば関係が壊れてしまうという恐れ。
自分自身が人生の中で、守りきれなかったという静かな後悔。
親もまた、完璧ではない一人の人間です。
周囲の人やSNSで、「立派な仕事だ」「誇りを持っていい」と言う声が上がるのも、同じ構造です。
それは本当の意味で相手を理解しているからではありません。
不快な現実を直視せずに済むよう、自分の心を守るための言葉です。
否定しなければ優しい人でいられる。
肯定すれば、考えなくて済む。
その結果、誰も本当の苦しみに触れなくなります。
ここで大切なのは、誰かを裁くことではありません。
体を売る仕事をしている人も、親も、周囲の人も、それぞれの場所で必死に壊れないように生きています。
ただ、それでも一つだけ確かなことがあります。
人の尊厳は、失ってから取り戻すものではありません。
守るべきものです。
心が冷たくなり、分離し、感じなくなってしまう前に、そっと包まれる必要があります。
体を売らなければ生きられない社会は、どこかで歪んでいます。
それを普通だと言い聞かせなければ回らない世界も、やはり健全ではありません。
違和感を覚えること。
胸が痛むこと。
悲しくなること。
それは狂気ではなく、人間らしさです。
誰もが、本当は心を温かく保ったまま生きられるはずです。
尊厳を持ち、身体と心を一つのものとして大切にできるはずです。
その可能性を諦めない感覚こそが、社会がまだ完全に壊れていない証拠なのだと思います。
もしこの話を聞いて、少しでも胸が締めつけられたなら、
それはあなたの中にも、人の尊厳を大切にしたい心が生きているということです。
その感覚を、どうか手放さないでください。
