人は、長く生きていると、顔つきが変わっていきます。
それは年齢のせいだけではありません。
日々どんな思考を重ね、どんな感情を抱き、どんな姿勢で世界と向き合ってきたか。
その積み重ねが、静かに、しかし確実に、顔に表れていきます。
ふてぶてしい顔と呼ばれるものも、その一つです。
それは一時の怒りや不機嫌では生まれません。
長い時間をかけて形成された、生き方の痕跡です。
ふてぶてしい顔の人の内面には、多くの場合、共通した心理構造があります。
それは「世界は安全ではない」という前提です。
人は信用できない。
油断すれば傷つけられる。
常に身構えていなければならない。
この無意識の警戒心が、表情を硬くし、目つきを鋭くし、顔全体を緊張させていきます。
同時に、その奥には強い劣等感や自己否定が隠れています。
自分には価値がないのではないか。
見下されるのではないか。
認められないのではないか。
その恐れを直視できないため、人は虚勢を張ります。
強そうに振る舞い、他人を下に見て、自分を守ろうとします。
その防御の姿勢が、ふてぶてしい態度となり、顔に刻まれていきます。
さらに、人を上下や損得で見る思考が習慣化すると、
他者への共感が少しずつ失われていきます。
人を感情ある存在として見る機会が減り、
表情筋は使われなくなり、
目の奥から温度が消えていきます。
そこに、満たされなかった怒りと、どうせ変わらないという諦めが重なります。
怒りは眉間に残り、
諦めは目の光を弱めます。
こうして、内面の緊張と歪みが、顔として固定されていくのです。
しかし、ここで大切なことがあります。
ふてぶてしい顔の人は、生まれつき悪い人間なのではありません。
多くの場合、長い間、安心できる場所を持てなかった人です。
守られず、受け止められず、弱さを出す余地がなかった人です。
では、顔は変わるのでしょうか。
答えは、変わります。
ただし、無理に笑顔を作ることでは変わりません。
必要なのは、世界の見方が変わることです。
守らなくてもいい。
役に立たなくても、ここにいていい。
そう感じられる体験を重ねることです。
そして、自分の弱さを否定せずに認めること。
怖かったこと。
寂しかったこと。
認めてほしかった気持ち。
それらを自分自身が受け止めたとき、
虚勢を張る必要はなくなります。
他人を上下ではなく、
同じように不完全で、迷いながら生きている存在として見られるようになると、
表情は自然に緩み始めます。
顔は、作るものではありません。
緊張が解けた結果として、にじみ出るものです。
だから変化には時間がかかります。
けれど、生き方が変われば、
一年、三年、五年という時間の中で、
確実に、目つきや表情は変わっていきます。
人の顔は、その人がどれだけ安心して生きてきたかを語ります。
そしてこれから、どんな生き方を選ぶかによって、
いくらでも書き換えることができます。
もし今、誰かの顔に厳しさを感じたとしても、
そこに至る背景があったことを、静かに思い出せたなら、
私たちは少しだけ、優しい視線を持てるのかもしれません。
そして同時に、
自分自身の顔を、これからどんな表情にしていきたいのか。
その問いを持ちながら生きることが、
最も確かな変化の始まりなのだと思います。
