この世界では、競争が当たり前のように存在しています。
スポーツでも、ビジネスでも、学歴でも、お金でも、
私たちは常に比べられ、順位をつけられ、勝ち負けで評価されます。
けれど、その中でふと、
「なぜこんなに息苦しいのだろう」
「なぜ勝っても心が満たされないのだろう」
そう感じる人がいます。
競争に違和感を覚える人は、
怠け者でも、現実逃避をしているわけでもありません。
むしろ、その人の心はとても自然な反応をしています。
人の心には、本来二つの方向性があります。
一つは、他者と比べて優位に立つことで安心しようとする心。
もう一つは、他者と響き合い、理解し合うことで安心しようとする心です。
競争は前者を強く刺激します。
勝てば認められ、負ければ価値が下がったように感じる。
その構造はとても分かりやすく、
不安を抱えた心にとっては即効性のある安心材料になります。
だから多くの人は、
競争に夢中になります。
勝敗や数字や成果に感情を預けることで、
自分の存在価値を確認しようとします。
一方で、共鳴を求める心は、
全く別のところを見ています。
それは、
「誰が上か下か」ではなく、
「何が伝わったか」
「何が共有できたか」
「心がどう動いたか」
こうした問いを自然と抱いてしまう心です。
この心を持つ人は、
誰かに勝っても満たされません。
なぜなら、勝利は相手との断絶を生むからです。
一方が上に立ち、一方が下に置かれる。
そこに深いつながりは生まれません。
共鳴を志す人が求めているのは、
自分の正しさを証明することではありません。
自分の思いや感覚が、
誰かの心に静かに届くことです。
だから、
競争の場では言葉が軽く感じられ、
成果だけを誇る世界に空虚さを覚えます。
「勝つためにやる」
「儲けるためにやる」
「評価されるためにやる」
その動機に、心が動かないのです。
これは異常でも、未熟でもありません。
むしろ、心が人間的な方向を向いている証です。
共鳴を志す人は、
人を点数や順位で見ることができません。
一人ひとりの背景や痛みや願いを、
無意識に感じ取ってしまうからです。
だから、
争いの構造に長く身を置くと、
心が疲れてしまいます。
自分が何者であるかを見失いそうになります。
この社会では、
競争できる人の声が大きくなりやすく、
共鳴を大切にする人の声は、
小さく、見えにくくなりがちです。
そのため、
「自分だけがおかしいのではないか」
「周りとズレているのではないか」
そう感じてしまうこともあるでしょう。
けれど、共鳴を志す心は、
社会が壊れないために必要な感覚です。
人が人を踏み越えず、
手を取り合い、
痛みを分かち合うための感受性です。
もしあなたが、
競争に疲れ、
勝敗に心が動かず、
ただ静かに人とつながりたいと感じているなら。
それは、あなたの心が弱いからではありません。
あなたの中に、
「争わなくても人は価値を持てる」
という感覚が、確かに生きているからです。
共鳴を志す生き方は、
派手ではありません。
すぐに結果も出ません。
けれど、確実に心を残します。
この文章が、
同じように違和感を抱えてきた誰かの心に、
そっと響くことを願っています。
