私たちは、自分の意思で生きていると思っています。
自分で選び、考え、行動していると感じています。
けれど実際には、気づかないうちに
「考えなくてもいい仕組み」の中で生かされている人が、確かに存在します。
その仕組みの特徴は、とても静かで、目立たないことです。
まず、全体像が見えないようにされます。
自分が関わっているのは、ほんの一部分だけ。
何のために行われているのか、
最終的に誰が得をし、誰が傷つくのかは見えません。
枝だけを見せられ、幹や森を見せられない状態です。
次に、決定権が与えられません。
やり方や目的はすでに決まっていて、
個人は「言われたことをこなす」役割に置かれます。
決められない人は、やがて考えなくなります。
考えなくなると、疑問も、違和感も、責任感も薄れていきます。
さらに巧妙なのは、
それが「自分の意思だ」と思わせることです。
選ばされているのに、選んだと思い込む。
縛られているのに、自由だと感じる。
この錯覚が生まれると、人は自分から檻を疑わなくなります。
そして、その世界がとても狭いことにも気づけなくなります。
他の生き方や価値観を知る機会がなければ、
今いる場所が「普通」で、「当たり前」に見えてしまうからです。
組織の中では、管理される側の中から
一人、リーダーが作られることがあります。
少しの権限と優越感を与えられ、
直接命令する役を担わされます。
支配は間接化され、責任は分散され、
誰が本当に決めているのかが見えなくなります。
逆らう人は、静かに排除されます。
罰や左遷、評価の低下。
それを見た周囲の人は、声を上げる前に黙ります。
こうして「誰も逆らわない空気」が出来上がります。
最後に、人と人との信頼が壊されます。
競争させられ、比べられ、疑い合わされる。
密告が奨励され、本音は隠されます。
横のつながりが断たれたとき、
人は孤立し、構造に逆らえなくなります。
この仕組みが恐ろしいのは、
特別な悪人がいなくても成立してしまうことです。
誰かが意図しなくても、
システムそのものが腐敗を生み、再生産していきます。
これは、特定の国や組織、
性別や人種に限った話ではありません。
私たち誰にでも、起こり得ることです。
けれど、希望もあります。
この仕組みは、
「気づかれた瞬間」から力を失い始めます。
全体を見ようとすること。
なぜそうなっているのかを考えること。
誰かと静かに共有すること。
それだけで、
人は再び「考える主体」に戻ることができます。
あなたが感じた違和感は、間違いではありません。
あなたが立ち止まって考えたその瞬間こそが、
檻の外につながる、小さな入口です。
