私たちは日々、
気づいて、疑問に思って、考えて、行動して、修正していく。
本来、人が生きるとは、そういう連続のはずです。
けれど現実には、
多くの人が「気づく」前で止まってしまっています。
この社会の仕組みは当たり前。
働いて、税金を納めて、評価されることを目指す。
疑問を持たず、従うことが正しいと教えられてきました。
それは偶然ではありません。
私たちは、従順で、逆らわず、扱いやすい存在になるように、
長い時間をかけて教育されてきたからです。
良い学校に入り、良い会社に入り、
それなりの収入を得る人が「優秀」と呼ばれる。
しかしそれは、
この仕組みを疑わず、正確に再現できた人、
つまりシステムに最も適応した人、という意味でもあります。
もしこの世界は少しおかしいのではないか。
この仕組みは誰のために作られているのか。
そんな疑問を口にすると、
「何を言っているんだ」「お前がおかしい」と言われることがあります。
それは、あなたが間違っているからではありません。
疑問を投げかけられること自体が、
多くの人にとって不安だからです。
前提が崩れると、
これまで信じてきた人生や努力の意味が揺らぐ。
だから人は、問いを発する人を遠ざけようとします。
この世界は、
一部の権力や資本、情報を持つ側にとって、
都合よく機能するように形作られてきました。
誰かが完全に設計したというより、
支配しやすい構造が、長い時間をかけて強化されてきたのです。
だからこそ大切なのは、
「当たり前」をそのまま受け入れないことです。
政治、司法、選挙、教育、メディア、情報。
それらすべてが、本当に自然で公正なものなのか。
誰にとって得なのか。
自分は本当に、それを選びたいのか。
疑うことは、壊すことではありません。
怒ることでも、否定することでもありません。
静かに問い続けることです。
もしあなたが、
どこかに違和感を覚えているなら、
それは間違いではありません。
そして、すでに気づいている人へ。
あなたは孤独ではありません。
気づいた人同士が、
無理に戦わず、小さくつながり、信頼を育てる。
その積み重ねが、やがて大きな流れになります。
支配は、従う人がいて初めて成立します。
誰も興味を示さなくなった権力は、
静かに力を失っていきます。
この世界を変えるために、
誰かを倒す必要はありません。
ただ、自分の感覚を信じ、
当たり前を疑い、
誠実に選び続けるだけでいい。
気づくことから、すべては始まります。
そしてその気づきは、
必ず次の誰かへと伝わっていきます。
