どこかに、こんな空気が当たり前になっている場所があるでしょうか。

嘘が日常の一部になり、目先の利益だけを求め、

謝ることは弱さとみなされ、面子だけが重く扱われる。

人々は互いを密告し合い、監視の目は生活の隅々まで伸びている。

流れる情報は選ばれ、語れる言葉は限られ、

声を上げれば排除されることを知っている。


その場所に長く暮らすほど、異常が日常に変わっていく。

「騙された方が悪い」「自分だけ良ければいい」

そんな言葉が道理であるかのように扱われ、

違和感すら、やがて飲み込まれてしまう。


けれど、人の心はそれでも静かに感じ取っている。

誠実は消えない。

信頼という温かな感覚は、どれほど管理されても息をし続ける。

本当のつながりは、監視によって完全に奪い去ることはできない。


だから、その世界は永遠には続かない。

どこかで必ずほころびが生まれる。

一瞬でも外の風に触れたとき、

「もっと違う世界がある」という事実を誰かが知ってしまう。

その気づきは、小さな光のように広がり、

今まで正常だと思い込んでいたものの歪みを照らし出す。


嘘に支えられた社会は強く見えて脆い。

しかし、信頼を知っている人の心は折れにくい。

謝罪や誠実を軽んじる文化の中でも、

それを大切にする人の存在は、静かに周囲に影響を広げていく。


世界を変えるために大きな声は必要ない。

ひとつの小さな気づきが、長い年月をかけて新しい価値観をつくる。

誰かが感じた「これは違う」という思いが、

やがて未来を形づくる。


その場所で生きる人が、もし心のどこかで疑問を抱えているなら、

その感覚は決して間違いではない。

それは、真実に触れたときにだけ生まれる、とても静かで強いサインである。


嘘で固められた社会は、少しの真実に揺らぎ、

監視で囲まれた生活も、一筋の光によって変わり始める。


この世界のどこかで、

その光に気づく人が今日もひとり、そっと目を開いている。