私たちはよくこう口にします。
「お金が欲しい」「お金さえあれば」「お金がないからやりたいことができない」と。
けれど、その言葉の奥には、気づかぬまま満たされない心が潜んでいます。
本当に欲しいのは、お金そのものではないはずです。
欲しいのは、安心。自由。満たされた日々。
けれど、お金を追いかけるほど、なぜかそれらは遠ざかっていきます。
一時的にお金を手にしても、「もっと欲しい」と思ってしまう。
次の不安がすぐに顔を出し、心は落ち着かず、また渇きを感じる。
それは、「足りている」ことに気づけていないからです。
本来、お金は目的ではなく、手段です。
何かを成し遂げたいという想いや、誰かを喜ばせたいという願い。
そのために必要なぶんだけあれば、それで十分なのです。
心が満たされているとき、人は自然と分かち合おうとします。
「これだけあれば、自分は大丈夫」
そう思えたとき、余った分を誰かに渡すことができます。
それが、巡りのはじまりです。
逆に、独り占めしようとすると、お金はなぜか滞っていきます。
「まだ足りない」「もっと欲しい」
そういう思いに支配されると、心は渇いたまま。
何を手にしても、満たされることはないのです。
大切なのは、「お金があれば何をしたいのか」。
その問いの先に、自分の本当の願いが隠れています。
ただ旅行がしたい。モノが欲しい。それもいい。
でも、そのさらに奥にある「生き方」や「在り方」に目を向けたとき、
お金の価値は、まったく違う意味を帯びはじめます。
本当に必要なものは、外ではなく、内側にあります。
心が満ちていれば、すでに「足りている」と気づくのです。
そのとき、お金は追い求めるものではなく、
自然と「必要な分だけ」巡ってくるものに変わっていきます。
だからまずは、心を満たすことからはじめましょう。
静かに、自分の本当の願いに耳を澄ませてみてください。
