人を許すことは、相手のためにするものではなく、まずは自分自身のためにするものです。


許せないという気持ちを握りしめたままでいると、その怒りや苛立ちは、相手ではなく、自分の心を蝕んでいきます。

やがてそれは、心の柔らかさや、他人との信頼、日々の穏やかささえも奪ってしまうのです。


もちろん、意図的に誰かを傷つけたり、裏切ったりする行為は、簡単に受け入れられるものではありません。


けれど、誰にでも「うっかり」や「思わず」という過ちはあります。

それが自分だったとき、心から謝っても、ずっと責められ続けるとしたら、どれほど苦しいことでしょうか。


ある日の出来事。

飲食店で、店員が足を滑らせ、誤ってお客さんの服に飲み物をこぼしてしまいました。

すぐに頭を下げて謝ったものの、そのお客さんは怒りを爆発させ、延々と怒鳴り続けました。

「クリーニング代を払え」「責任者を出せ」「そんなので謝ったつもりか」と、1時間以上も怒りが止まりません。

故意ではないことも、何度も謝っていることも関係なく、ただ感情だけがその場を支配していきます。


周りの人たちもその空気に巻き込まれ、誰の心も苦しくなっていく――。

本当にそこに必要だったのは、怒りだったのでしょうか。


それとも、「大丈夫ですよ、気にしないでください」の一言だったのでしょうか。


許すことは、相手の非を帳消しにすることではありません。

その人の過ちを「なかったこと」にすることでもありません。


許すというのは、「もうこれ以上、そのことに心を奪われない」と、自分の中で区切りをつけることです。


怒りに心を支配されるよりも、理解や共感を選ぶことで、私たちは自分自身を自由にしていくのです。


誰もが人生のどこかで、失敗をし、誰かに迷惑をかけてしまうことがあります。

そのときに「大丈夫だよ」と言ってくれる誰かがいることは、何よりの救いです。


だからこそ、自分が誰かの過ちに出会ったとき、どう振る舞うかが大切になります。


強くあることと、優しくあることは、決して矛盾しません。

真の強さとは、人を押さえつけることではなく、必要なときに手放せる勇気を持つこと。

怒りを抱える代わりに、思いやりを差し出せる心こそが、成熟した人の証なのだと思います。


許すことで、自分の心が軽くなる。

その優しさが、巡り巡って、また誰かを救う力になる。

そう信じて、生きていきたいものです。