政治家という存在は、本来、私たちの代表として公の利益のために行動する人たちです。
けれど、現代の社会において、その評価が必ずしも中身に基づいているとは限りません。誰が「叩かれ」、誰が「持ち上げられる」か。その傾向をじっと見つめていると、そこにはある一定の構図が見えてきます。
近年、国の主権や安全保障、経済的自立など、いわゆる保守的な立場から発言する政治家に対しては、強いバッシングや誹謗中傷、時には根拠のないデマまでが流されることがあります。政策の中身よりも、「排外的だ」「差別的だ」といった印象が先行し、言葉の一部が切り取られて一人歩きする。そこには、冷静な議論ではなく、感情やレッテルで覆い隠されてしまう現実があります。
一方で、外交的に親中・親韓的な姿勢をとる政治家や、国際協調を重視する立場の政治家に対しては、しばしば「寛容」「グローバル志向」といった肯定的なイメージが与えられます。メディアに持ち上げられ、SNSでも称賛される。けれどその裏にある具体的な政策内容が、果たして本当に国民全体の利益につながっているのか、十分に検証されることはあまりありません。
こうした「誰が正しいか」ではなく、「誰がどう報じられているか」という情報のフィルターが、私たちの判断を知らず知らずのうちに左右しているのです。まるで、オールドメディアと呼ばれる既存の報道機関、そして特定のイデオロギーを背景にした論調が、人々の目と耳を通して、ある種の“印象の地図”を描いてしまっているかのようです。
本当に必要なのは、その地図の裏側にある現実を、自分自身の目で見つめ直すことです。発言の中身を読む。政策の影響を調べる。過去の行動を追ってみる。誰かが「正しい」と言っているから信じるのではなく、「なぜそう言われているのか」を問う視点を持つこと。それが、民主主義の土台を支える力になります。
誹謗中傷される政治家が、すべて正しいとは限りません。けれど、批判されるその内容が「本当に政策への正当な反論なのか」あるいは「印象操作なのか」を見極めようとすることは、私たち国民にできる大切な責任のひとつです。
同様に、メディアに持ち上げられている政治家も、その報道の裏にある意図や関係性を冷静に見つめ直すことで、初めて公平な評価が可能になります。
今、私たちに必要なのは、誰かを敵とすることでも、怒りをぶつけることでもありません。
情報の渦の中で、本当に大切なことを見失わないまなざし。
誰かの言葉ではなく、自分自身の思考で判断する習慣。
そして、未来を見据えて、本質的な問いを持ち続ける静かな強さです。
国のかたちを決めるのは、私たち一人ひとりです。
だからこそ、与えられた情報ではなく、選び取った情報で、未来を築いていきたい。
この国のかたちを決めるのは、誰かではなく、私たち自身なのです。
