近年、「多様性」や「多文化共生」「ジェンダー平等」などの言葉を、ニュースや教育現場、SNSなどで頻繁に耳にするようになりました。
これらの言葉は、一見とても美しく、誰もが賛同すべき“正義”のようにも思えます。

しかし、私たちは今、その「正義」がどこか、行き過ぎてしまってはいないかという問いに、そろそろ向き合うべき時にきているのかもしれません。


たとえば、生まれた国や文化、自然の摂理の中で、家族を大切にし、互いに干渉しすぎず、静かに生きてきた人々がいます。
何も特別なことではありません。
それは多くの人が、当たり前に大切にしてきた生き方です。

しかし今、その「普通」の感覚すらも、「古い」「差別的」「時代遅れ」と言われてしまう。
まるで、“正しい多様性”という型にはまらなければいけないかのような空気が広がっているのです。


不思議なことに、「多様性を認めよう」と言いながら、
その主張がまるで“新しい常識”のように、強制されることがあります。

そして、実際の当事者よりも、当事者ではない誰かが、
「マイノリティの権利」として声を上げ、周囲に正義を押し付けてしまうこともある。

結果として、本当に守られるべきはずだった多様な価値観――
伝統や文化、家族のかたちや自然な感覚までもが、
「多様性」の名のもとに破壊されてしまうのではないか。
そう感じる人も、きっと少なくないはずです。


しかし、本当の多様性とは、皆を同じにする事ではないはずです。

ある人が声をあげる自由があるなら、
その声に違和感を持つ人の意見にも、耳を傾ける余白があっていい。

家族を大切に思う気持ちも、国や地域の伝統を尊重する心も、
「自然の中で人間らしく生きたい」という思いも、
それ自体が多様性の一部であるべきなんです。


今こそ思い出したいのは、調和とは、誰かを黙らせることではないということ。
違いを消すことではなく、違ったまま認め合うということ。
声の大きさではなく、静かな心の声に寄り添うこと。

何かを主張する前に、ただ黙ってそっと暮らしたい人の存在にも、想像力を持てる社会でありたい。 


そして、すべてを一つにまとめてしまうのではなく、
それぞれの文化や生き方、考え方が、安心して違ったままでいられる世界こそが、本当の意味での共生なのではないでしょうか。


最後まで聞いてくださって、ありがとうございました。
もし共感していただけたら、ぜひこの思いを誰かと分かち合ってください。
そして、声なき声にも、耳を傾ける社会を、一緒につくっていけたら嬉しいです。