2024年11月24日、東久留米で実施した
「登校拒否・不登校・中退者のための 進路学習会」
で、体験談をお話しました。
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<子どもの自己肯定感>
「自己肯定感」は、皆さんよく聞く言葉だと思います。
わたしはよく「コップの中の水」に譬えて説明します。
子どもは皆、心の中に自分のコップを持っています。
そのコップに自己肯定感がたっぷり入っている子どもは、
自分に自信があり、自分のための努力ができるし、
失敗してもまた挑戦して、やがて乗り越えることができます。
ところが、このコップに入っている自己肯定感が、自分を保つのにギリギリしかない子は大変です。
ちょっとした失敗やトラブルで、大きく揺さぶられコップの中身をこぼしてしまいます。
学校に行かない娘との9年間は、
我が子のコップに「自己肯定感」がたっぷりなみなみとたまるように、
ひたすら子どもを受け入れ、肯定し、OKを出し続ける修業の日々でした。
もちろん、親も悟りを開いた仏ではないので、すぐにうまくできるわけはありません。
言いすぎたり、カッとなったり、何度も失敗し、後悔しました。
娘に反発され、衝突し、時には試され、試行錯誤を繰り返しました。
その上、娘のコップは穴だらけで、どれだけ「OK」を注いでも注いでも、
穴から漏れて出て行ってしまう、という時期が数年ありました。
ところが、いつごろからか、いつのまにか、
子どもの水がたまる感じが、確かに感じられるようになりました。
それからは、親が注ぐだけでなく、子ども自身も自分でエンパワメントしてどんどん成長しました。
娘は結局、義務教育9年間ほとんどずっと「不登校」でしたが、
長い時間をかけてしっかりと自己肯定感を蓄え、自分から外へと、歩き出しました。
不登校に限らず、親の仕事は、
我が子のコップにたっぷりと自己肯定感を注いでやることだ、とわたしは娘に教えてもらいました。
なんて、偉そうに言いましたが、
わたしは、娘たちを育てる中で、
「こうしたほうがいい」というのはアタマでわかっているけれど、そうしようとすると、
「わたしはそんなことしてもらったことがない!娘たちだけずるい!」と
わたしの中のインナーチャイルドが泣き叫んで、心が引き裂かれて、鬱病になりました。
長女が小学生の頃はカウンセリングや精神科クリニックに通い、
抗鬱剤(SSRI)を飲んで日常生活を回していました。
その後、子どもたちが成長して楽になり、やがて抗鬱剤も精神科も卒業できました。
わたしは自分のためには、動けませんでした。
娘の不登校のお陰で、
うちの家族は、わたしも夫も娘たちも、楽に生きられるようになったと思います。
<3:高校進学後>
2005年の4月、長女は都立荻窪高校定時制課程に進学しました。
(現在、都立荻窪高校は、三部定時制高校になっています)
入学当初は、毎日通えるか心配した娘ですが、
文化祭でアニメのコスプレをしたり、生徒会に入って3年間役員をしたり、
単位をちゃっかり計算して時々は授業をさぼったり、
4年間とっても高校生活を楽しんで、卒業しました。
その後は、美術系の専門学校に行きました。
2年間、電車通学をして、満員電車で過呼吸をおこすようになったので、
卒業後はしばらく家にいましたが、
マンガを描く紙も、好きな本も買えない!と、アルバイトをはじめました。
それは、家から歩いて行ける家族経営の喫茶店で、
人見知りの娘が喫茶店のウェイトレスなんてできるの?と心配しましたが、
社長の奥さんから、トイレ掃除や、お皿洗いを
「大学生でもなかなかできない。あなたはちゃんと家でやっているのね」と褒めていただき、
育てていただきました。
高校生くらいになると、
親がいくら褒めても「家族だから褒めてくれるんでしょ」と
親の褒め言葉を5割引くらいにとるので、
家族以外の大人からちゃんと認めて褒めてもらえるのは、本当にありがたい経験でした。
不登校に限らず、このくらいの年ごろの子どもには必要なんだな、と思いました。
喫茶店の社長さんや奥さんには、とても可愛がってもらいましが、
なにしろバイトなので、そんなにお給料はもらえない。
7年くらい勤めて、「やっぱり好きなことを仕事にしたい」と言い出しました。
「ちゃんと就職して、オカメインコのご飯代や病院代も稼がないと。
自分が得意なのは、絵を描くこと」ということで、
絵を描いたりデザインすることを仕事にしたい、と思ったようです。
ちなみに娘は、運転免許もオカメインコを病院につれていくのに必要だから、と取りました。
娘は自分で
「ネットでwebデザインを勉強できる」というコースを見つけてきて勉強を始めました。
終了後は提携している業者から仕事を紹介され、派遣社員として働くことになりました。
その職場が高田馬場。
満員電車に乗ると過呼吸になるのに、高田馬場まで通えるのか?と心配しましたが、
ちょうど2020年、世の中は新型コロナ真っ最中で、リモートワークが推奨され、
西武線もガラガラという頃で、娘にとってはラッキーでした。
半年後に人出が増えるころには、娘も通勤や会社に慣れて、通い続けることができ、
1年半くらいして、正社員にならないかと声をかけていただきました。
それから3年。
我が家は夫は自営業、わたしはパートなので、長女が家族で唯一ボーナスをもらえる正社員です。
今日の進路学習会のチラシを娘に頼んだら、
「この学習会に行ってあたしの人生は開けたから、お礼に!」と引き受けてくれました。
皆さまにとっても、開運の学習会になりますように!
当日お配りした資料 →
次回の「ぷらっと親の会」は、
2025年2月8日(土)14:00〜16:00
@小平市小川西町公民館 です。
申し込みは必要ありません。
どうぞ、ぷらっとお寄りください。
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