こころほどけてえがおこぼれるアートセラピーChimeです♪

 

 

前回の記事私のルーツ 答えは自分の中にを体現していた父のことの続きです。

前回同様、私の個人的背景に興味のある方のみお読みいただければと思います♪

 

食品機械の設計をしていた父は、健康長寿食である「十割蕎麦」を普及させたい思いで、

製麺機の設計に着手。製麺機のアベ技研

 

平成15年より手伝い始めた私と、父と母と三人四脚で仕事していたわけですが、事業開始翌年から細々とですが仕事がまわるようになりました。

 

父は職人堅気の変人で、頭はいいのに生活面では本当にできないことが多い人。

でこぼこ凹凸がすごいタイプでした。

自宅の車庫で機械ばかりいじって、試験試験の毎日。

その状況だけ見れば失敗と言われることばかりの日々で。

母も相当苦労したと思われます。

 

ただ父のすごいところは、

今の「問題」や「たりないところ」に焦点を当てるのではなく、

「ありたい姿や状況」に焦点を当てることが自然とできていることでした。

当時、(今もそうですが)十割蕎麦はつなぎの小麦粉を一切使わないので、本当に熟練された職人でも難しいものとされていました。

そんななか、押出製麺機で十割蕎麦をつくる! ことをを決めた前提で、そこに向かって試験しているのです。

 

また父は大きな目で物事を見るということに長けていました。

私が小さい頃から「気」や「波動」に関する本や人付き合いが身近にある人でした。私にとってもそんなことがわりと自然に近くにあったので、物事は外からじゃなく内から、というのが少しづつ体感として腑に落ちてきたような気がします。

 

資金もない、場所もない、人手もない、ないないづくしだった我が家の事業ですが、

2年後、自宅の敷地にプレハブを建てました。

そして、徐々に個人事業としても形になってきました。

 

その頃、油圧製麺機とミキサーの特許取得。

押出製麺機で蕎麦だけでなく、うどんやパスタ、ラーメンなど様々な麺の製麺に着手。

これも、作れることを前提にすすめていました。

その時期の父は、私からはエジソンやアインシュタインのように見えました。

 

その時期から「瓦版」なるニュースレターを発行。

それにともなって、多くの人から「蕎麦がこんなに手軽に作れるなんて感動」

「十割蕎麦が食べられるこの機械に感謝」などのお便りが届くようになりました。

父に(だけ)みえていた世界が現実になった瞬間でした。

 

ほどなく、うどんもパスタも問題なく作れるようになり、さらには6次産業化の期待を受けて米粉麺にも着手。

父と母の工夫と苦労が実を結び、米粉麺も作れるようになりました。

そして、平成23年株式会社として法人化。

営業の兄、私と姉が事務経理雑用を兼務して、家内工業があらためてはじめることになりました。

 

この一連の流れをまじかで見た私は

「想いってすごいんだな」と感じました。

小さいスケールではありますが、「想いが現実を創る」ことを知るには十分な経験でした。

それは、自分の中に、答えやすすむ方向の羅針盤があるということでもありました。

 

 

そんなこんなで13年がたち、、、

その間には、私がが心身の調子を崩してしまったこと、2人目の出産、母が亡くなったこと。

いろんなことがあったのですが。。

また日を改めて書きたいと思います。

 

 

お読みくださりありがとうございました(^^♪

 

 

 

Chime