ペットロスについて…愛犬との別れ・愛猫との別れ・友との別れと『虹の橋』 | ☆中野あや・動物行動クリニックなかの☆問題行動は獣医行動診療科認定医のいる犬猫の心療内科へ☆犬猫子どもとの暮らし応援@兵庫/神戸

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「ペットロスから立ち直るにはどうしたらいいんですか?」

 

 

こんにちは。

動物行動クリニックなかのの中野です。

物書きのときの自称は「にゃかの」ですが…。

それは置いておいて。

 

春にアイズとお別れしたときから、書こうと思っていたペットロスの話しを今日は少しだけ。

 

心理学をベースとする動物行動学を学んでこの仕事をしていると、ときどき聞かれます。

「ペットロスから立ち直るにはどうしたらいいんですか?」

「ペットを失った心の痛みが癒える日はくるのでしょうか?」

 

きっと、この記事を読んでくださっている人の中でも、大切な動物たちを送ったことのある方は、この答えを知っていると思います。

もしかすると、動物ではなく、大切な人を送ったことのある方もいるかもしれません。

 

私の答えは…、

 

「心の傷は完全に癒えることはありません」です。

 

 

どんなに時間が経っても、思い出すと涙が流れて、心が苦しくなる、そういうものだと思っています。

30年以上前の、10代のときのウサギとの別れも、その日のその時を思い出すと耐えられない。

 

「え、そんなツラくはないなぁ」、と思われる方は、きっと、より穏やかな別れだったのかもしれません。

私も老衰の犬の最期に間に合い、腕の中で静かに息を引きとるのを看取れたときの思い出は、少し悲しいけど、ツラくはない。

 

 

ペットロスに、同じツラさはなくて、一人一人違っているし、

雪の結晶別れが突然であるほど

雪の結晶衝撃的であるほど

雪の結晶最期の姿が痛ましいほど

強く傷が刻まれる(心理学的なトラウマの生じ方と同じですね)。

交通事故や呼吸不全、発作の重責などの最期は本当に飼主の心は苦しい。若い子の死もとても重い。

 

飼主がわの要因としては

雪の結晶動物を生き甲斐や心の支え(拠りどころ)にしているほど

雪の結晶普段から迷いが多く決断が苦手な人ほど

雪の結晶自分の行動に落ち度があるほど

雪の結晶できなかったことを数えてしまう人ほど

雪の結晶自己肯定感の低い人ほど(動物の存在が支えになりやすいから)

雪の結晶人とのコミュニケーションが苦手な人ほど(動物が一番信頼できちゃうから)

失ったことを長く強く引きずりやすい。

「最期のときに立ち会えなかった」というのもあるかもしれない。

うん、今回の私だな…

 

 

反対に失う悲しみは同じように大きかったとしても、心をえぐるような傷になりにくいのは、

クローバーサヨナラの時期が予期できて

クローバー穏やかな最期で

クローバーそばにいて見送ってやれた

クローバーできることは全部してやれた

クローバーこの子も自分も幸せだったと思える

そんな場合。

 

飼主側の要因としては、他にも

クローバー動物が大切な友人・隣人であるが、生きる支えとはちょっと違う関係(愛情が薄いとかではなくて、むしろ動物と暮らすときには健全な関係性)

クローバー自己肯定感の高い人(できたことを数えることができる人)

クローバー暮らし方や闘病のなかで「してやりたいこと」を決断できた人

クローバー他にも動物を飼っている人、家族が多く仲が良い人(支えがある)

というのもあるんじゃないかな。

 

アイズとネーズについては

クローバーお葬式も火葬とお骨上げも全部して、丁寧にゆっくり送ってあげることができた

というのもあったので、お別れの方法については、また今度 書こうと思います。

 

 

 

そんなわけで、

身近な人がパートナーの動物を失って傷ついているときは、自分の尺度や価値観を押しつけないでね。

 

私もペットを失った人にかけられる言葉を持たないけれど、あんな苦しみの中にいる人を救える言葉などないけれど、伝えたいのはこんな言葉。

 

「できる限りのことをしてきたよ」

できなかったことはどんなに後悔してもその時の自分にはきっとできなかったことで、できなかったことも含めて、できる限りを頑張っていたと思うよって。

 

「きっと今が『そのとき』だったんだよ」

あの子が選んだ『そのとき』なのかもしれないよ、あなたが大変なのも苦しいのも知っているから『今』なのかもしれないし、これから忙しくなるのを知っていて『今』なのかもしれないし、もしかすると居心地のいい「あなたの隣」の一席を次の命にゆずるための、次の出会いを運んでくるための『今』なのかもしれない。

そう思いたい。

 

 

そうやって、少しでも心の痛みを和らげるために、人は『虹の橋』の物語を語る。

別れた子たちはあの世の手前の虹の橋の下で苦痛から逃れて楽しく暮らしていて、いつかあなたが来たときに笑顔でかけよってくるよ、と。

これは『死んでしまったけれど生きているよ』というメッセージ虹

それもいいと思う。

 

個人的には『生まれ変わってまたうちの子においで』というのが好きなので、虹の橋で待っていなくてもいいよ、って思っているけど晴れ

 

想像したり物語をつづるのは、ペットロスの沼の底から戻ってくるための一つの方法でもある。

私も、友を失う恐怖や悲しみが深いほど、たくさん書く。昔から。

(昨年ぐらいまでは、物語をカクヨムという小説サイトに載せていたのですが、うっかりアカバン(アカウント削除)されてしまったため、そのうち、ボチボチまた上げていこうと思います。読んでくれる方がいれば。。。。。。)

 

 

沼の底から戻ってくる方法は他にもあって、もちろん「沼の底でその子を想い続ける」という選択もあって、そんな話や、最近よく聞くようになってきた グリーフケアとかについては、次に続けようと思います。

 

今日も読んでいただいてありがとうございましたしっぽフリフリネコウサギペンギンヒヨコドキドキ

大好きです星

 

発掘!10年ぐらい前のネーズ。嫌そう!!