一方通行で間断なく喋りまくる人というのがいる。私はあまり喋り上手ではないので、いつもそういう人の格好の餌食となる。機関銃で撃たれっぱなしになって、魂が死んだ状態で帰ってくる。先日久しぶりにそういう目に遭った。これはアメリカ人、日本人、何人に限らない。
日本語はよくできていると思う。「聞いてあげる」は、「あげる」という部分が示すように、与える行為であり、「聞いてもらう」は、「もらう」の部分が示すように、受け取る行為である。このニュアンスは英語にはない。「聞くという行為は与える行為なのだ」と夫に説明したら、わかったようなわからないような顔をした。日本語は実に高級である!
1時間以上「聞いてあげる」という与える行為を続けていると、バランスが非常に悪くなって気が変になってくる。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」(ルカの福音書6:38)、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20:35参照)とイエスが言われている。困ったな。・・・
1時間くらい聞いてあげていた時点でこちらも防御モードになり、ぼんやりしてきた。もうひとりの友だちはとても感心で、ちゃんと聞いてあげている。若いのに偉い。・・・関係ないが、「ぼんやりしてくる」というイディアムは、'out to lunch'です。I was out to lunch.
ぼんやりしながら考えた、この人、どうしてこんなふうに自分のことばかり喋りまくるんだろうと。それまでの人生に何か屈折があるに違いない。自分を認めてほしいが、何らかの理由で認められない状況に長い間あったのかもしれない。(誰かの二号さんだったとか。)または、現在の状態が不安定で、心も不安定なのかもしれない。過去に、不安定だと喋りまくるという人に出会ってきた。それに加えて根が喋り口なのだろう。自分のことばかり喋っているアメリカでは彼女はピッタリかもしれない。でも日本人には受け入れられにくいだろうなぁ。
感情的には、バランスの悪い人と時間を過ごすのはもったいないので、もう会いたくない。でも上に書いたイエスさまのことばが大いにひっかかる。それに、「不愉快なら会わないでいい」といった、そのへんの精神科医が言いそうな言葉は、それでいいのかな?
神の信徒としては、もちろん、同じく神に創造された彼女の命・人生を尊ぶものである。とりあえずは、自然に風の吹くままに、もしまた会う機会があればあるで良し、なければないで良しということにしておこう。
書いているうちに結論を得た。神の内に在って自然にしていよう!!(^^)/