‘こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。’ヘブル人への手紙10:19、20(下線筆者)

 

前回のブログで、イエスが息を引き取られた折に、3回に渡って「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」ということを書いた。この意味を瞑想するにあたり、上のヘブル書の中からの、特に「ご自分の肉体という垂れ幕」という記述が大きなヒントとなった。(また、ヨハネの福音書2:21の、‘イエスはご自分のからだである神殿のことを言われたのである。’も勿論、念頭に置いておかねばならない。)

 

グーグルで皮膚の構造を見てみた。表皮、真皮、皮下組織の3層から成り立っていることを知った。・・・ということは、3回に渡ってご自分の肉体という垂れ幕が裂かれたということは、1回目、2回目・・と裂かれるにつれて、イエスの深層に、即ち至聖所に私たちは入ることができるようになったという意味・絵を示すのではないだろうか。イエスという垂れ幕が裂かれない限り、私たちは至聖所=イエスと繋がることはできなかったのだ!

 

以上は私の現在の段階での個人的洞察であり、異なった見解や洞察がたくさんあることは重々承知である。どうぞお手柔らかに。(^_-)

 

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昨夜で今年度のバイブルスタディーが終了した。マタイの福音書を8ヶ月に渡って学ぶ機会が与えられたことは幸いであった。最後の全体会で何人かの人たちが、リーダーたちに感謝していた。私ももちろんこの学びの機会のために献身してくれる人たちには心から感謝している。更に、私が最も感謝をお捧げするのは聖霊である。聖霊が私に教え示しててくださったことは忘れることがない。霊の成長には、聖霊からの教えが不可欠であると思う。

 

‘しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。’ヨハネの福音書14:26

 

聖霊の時代に生きる私たち神の家族たち・・・、多くの教派が、聖霊について語ることをほとんどタブー視さえしていることは、非常に残念なことであると思う。