定年退職し低賃金での再雇用となれば少しは楽な感じになりそうなものの、4月に入ってからも残業の連続。この調子でいけば年間の残業時間を360時間以内に制限する36協定越えは確実。って、残業代がない管理職にはそんな協定は関係ないのだが。
長いサラーリーマン生活の中でも一、二を争う激務だった本社時代の後輩と飲んだのがほんの一か月前。金曜の夜は、その後輩の声掛けで、東京本社時代の仲間が2年ぶりにすすきのに集合。集まったのは自分と3歳下の後輩の他、自分と同じく今年定年退職となった仙台在住の同僚に、つい最近コンサルティング会社に転職した東京在住の7歳下の後輩の計4名。週半ばからのトラブル対応で集合時間の18時に間に合うか冷や冷やしたが、なんとがギリギリ間に合い乾杯。札幌以外の仲間のためと豪華刺し盛、生ガキにキンキ、イクラ丼等々の豪華な肴が揃ったが、全員50歳を過ぎたとなれば、なかなか箸が進まない。
2軒目は何年かぶりにスナック。3軒目はカラオケパブ。次回は沖縄で集合だと話しながら解散したのは午前1時過ぎ。サラリーマン時代の仲間は片手で足りるほどと思っていたが、なんだかんだと結構いたんだなと。というどうでもいい話は横に置いといて、今週もぼちぼち始めることにしましょうか。
その居酒屋での飲みの際に後輩に●●さんは相変わらずヘビメタ聴いてるの?なんて振られて、「いやいや俺が聞いてるのはヘビメタじやないから」と返したものの、世間的にはヘビメタもパンクも同じ感じで受け取られてることを改めて思い知らされたりして。
別にヘビメタを嫌ってるわけではないが、ヘビメタといわれるバンドはほとんど聴いてこなかった。それでもロックの聴き初めにはちょっとだけどハードロックも聴いていたなんてことを思い出したりして。
ヘビメタとハードロックの違いは?と言われたらはっきりした線引きができない自分だが、日本のバントでいえば、BowWowはハードロックで、VowWowはヘビメタだと捉えている辺りは、生粋のヘビメタ、ハードロック好きの方からはお叱りを受けること必至なのかも。
ロックの聴き初めの頃に出会ったキッスのことはだいぶ前のブログにも綴ったことがあるが、なんだかんだと一番聞いたハードロックバンドが仮面を脱ぐまでのキッスだったのは、単純にロックの聴き初めの頃に出会ったバンドってのもあるが、きっと初期のビートルズ辺りのロックン・ロールがベースになっていたメロディとかかが自分の好みにハマっていたのだろう。
その後も、多くの昭和世代の方と同じようにディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターの冒頭のリフをギターで弾いてみたりもしたが、他にはハイウェイ・スターとバーンくらいしか曲は知らなかった。それでも当時はジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと並んでギター少年の憧れの的だったリッチー・ブラックモアのことは気になる存在で、レインボーのダウン・トゥ・アースはシンス・ユー・ビー・ゴーンを筆頭にポップな感じでよく聴いていた。
近所に住むハード・ロック好きの幼馴染にあれはリッチーが売れ線に走ったやつだからと断罪された思い出があるが、短髪姿のグラハム・ボネットは、それまでのハード・ロックバンドのボーカリストとは違って見た目もスタイリッシュで好きだった。
学祭バンドの仲間からはARB、PANTA & HALのレコードと一緒に、アイアン・メイデン、マイケル・シェンカー、エアロスミスのLPレコードを借りたりしてたのは、今ほどジャンルに拘りなく貪欲に色んなバンドの音に触れたかったのだろう。エアロスミスと言えばギタリストのジョー・ペリーのソロアルバムのタイトル「熱く語れ!」に惹かれて聴いたりもしたな。
BowWowは学祭バンドでロックンロール・ドライブって曲をコピーしてたのでよく聴いていたが、その曲が収録されていたSIGNAL FIREよりCHARGEの方が好みだったのは単純にモノクロのジャケットが当時家にあったMEET THE BEATLESのジャケットになんとなく似通っていたからで、BowWowはギタリストの山本恭司のソロアルバムまで聴いていたくらいだから、結構好きだったのかもね。
それでも結局ハードロックにのめり込むことがなかったのは、音楽性というよりファッション性の問題だったのは間違いない。何と言っても当時はツッパリ、ヤンキー花盛りの頃。長髪にヒラヒラの衣装よりは、50’Sファッションに近いパンク系のバンドの方が自分にはカッコよく映ったのは単純に好みの問題。同じツッパリ風でも横浜銀蝿の方に靡かなかったのも見た目のセンスだったし。って、音楽よりそっちの問題ってのが何ともな話で(笑)。
今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。