この週末は母の命日に合わせ墓参りを兼ねて3年弱ぶりに帰郷。目の調子が悪く長距離運転を控えていたが、昨年の白内障手術でそれも解消されたということで。
墓がある小さな寺院は、観光地の五稜郭公園と五稜郭タワーに囲まれた場所にあるが、そこだけ異空間のように静寂なのはいつもどおり。
墓参りの後は義父母宅へ。90歳にしてなお自転車屋を営み自転車やバイクの修理を続ける義父のタフさに感服。土産の大沼団子も一折完食してたくらいだし。
義父母を自宅に送った後に向かった宿泊先は十字街近くに昨年オープンしたばかりのホテル。格安だった割に朝食のバイキングの豪華さに、さすが函館スタイルと驚く。
それ以上に驚いたのは、翌日の昼食。義父が自宅近くにオープンしたラーメン屋に行ってみたいということで、車で向かって着いた所が山岡家!函館といえばあっさりの塩味が定番なのに、なぜに豚骨こってりガッツリ系のチェーン店の山岡家に・・・。しかも、それを完食した90歳の義父と86歳の義母。恐るべし。
というどうでもいい話は横に置いといて、今週も
ぼちぼち始めることにしましょうか。
先日読んでいた書籍に「段々できるようになるとは、徐々に成長するのではなく、ある段階まできて、ポンっと上がる、この繰り返しなのではないか」ということが書かれていた。
なるほどと腑に落ちた。
階段も段々もスロープのように緩やかな坂になっているのではなく、平らな面がある所でポンっと上に上がるようになっている。まさに段になっている。この「段」という言葉を使う段々とは、ある段階まできてポンっとあがるとはまさにそうだなと妙に合点がいったのだ。
実はこれについて書かれたこの書籍を読んだのは今回が初めてではない。以前一度読んだのを今回再読したもの。しかし、以前読んだ時にはこの話に全く興味が湧かず、再読した今回になって初めてその書いている内容に合点がいったのだ。
ロックを聴いていても似たようなことがある。
遠い昔に聴いたときには全く興味が持てなかったバンドやアルバムが、長い時間を経て改めて聴いたときに、こんなにカッコいいバンド(またはアルバム)だったっけ?と突然フェイバリットバンド(またはアルバム)になることがあるのだ。
自分の中ではコレクターズ、ニューロティカ、パーソンズ、そしてクールスなんかがそれだ。
そのクールスのリーダーとして長きに渡りバンドを牽引してきた佐藤ヒデミツ氏が先日亡くなった。享年73歳。
バンドは今年結成50年のアニバーサリーを迎え、ツーリングイベントなどが予定されていたという。
70年代に10代を過ごした多くの方同様に「紫のハイウェイ」や「シンデレラ」などの代表曲は中学生の頃からよく知っていた。
初めて聴いたアルバムは、有名なデビューアルバムの「クールスの世界〜黒のロックンロール〜」ではなく、横山剣加入後にリリースされた「チェンジリング」。高校2年生の頃だ。だけど、なんかピンとこなかった。
50’s直系のロックンロールを継承したかのようなサウンドに、歌われるのは惚れたはれたの恋話。当時すでに社会や政治のひずみを歌ったパンクロックの流れを汲むバンドにどっぷりはまっていた自分には、そんなクールスの世界観がちょっと物足りなかったのかも知れないし、単純にその時分の自分とはたまたま波長が合っていなかっただけなのかもしれない。それが50歳を過ぎた頃、たまたま手にした40周年のアニバーサリーライブを収めたDVDが、なんだかその頃の自分の気分にピタリとはまったのは、ロックンロールにも「縁」というものがあるからに他ならないことを証明しているのかも。
この辺りのことについては一昨年のブログにも書かせていただいてる。
クールスの実際のライブを体験したことはない。
それでも50周年にはアニバーサリーライブが開催されて、きっとDVDやBlu-rayで発売されるはずだからそれを楽しみにしようなんてことを随分と長い間考えていた自分。
ヒデミツ氏が亡くなり、そのアニバーサリーライブが開催されるかどうかはわからないし、仮にライブが開催されたとしてもそこにドラムを叩くヒデミツ氏の姿を目をすることはできない。
大ファンというわけではないが、自分が聴いてきたバンドがメンバーの死を迎えるニュースはやはりなんともいえぬ寂しさを誘うものだ。だが、多くのバンドを長きに渡って聴いてきた自分が60歳を迎えるということは、これからはそんなニュースを数多く目に耳にするということなのだろう。それはとても悲しいことなのだが、それでも数々の作品は残されていて、自分が生きている限りそれらはこれからも自分を愉しませてくれたり、癒してくれたり、感動を与えてくれたりを続けてくれるのだから、まさにLive With the Rock’n’Rollと言ったところ。
そんな作品の数々を残してくれたヒデミツ氏に感謝しつつ、これからもクールスの作品を聴き続けていく日々を過ごしていくのが、残された自分にできる唯一の供養なのかな。
Thanks hungly god!
今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。