先日観た映画PARFECT DAYSの余韻がまだ残っていたのか、なんとなくコレクション棚にあったジム・ジャームッシュ監督の映画PATERSONを久しぶりに観ることにした。いや、なんとなくではなく、誰かのPERFECT DAYSを紹介するブログを覗いたときにPATERSONの広告が出てきたのが気になっていたからかも。


そんなに多く映画を観るほうではないのだが、なぜかジム・ジャームッシュの作品はほぼ全作観ているし、DVD、Blu-rayも揃えているほどに好きな映画監督だ。(他にはクリント・イーストウッドも好きなのだが、全作コレクションするほどではない)


PATERSONも公開と同時に狸小路にあるミニシアターまで観に行ったのだが、その内容の記憶は少しおぼろげで、アダム・ドライバー演じる詩作を愛するバス運転手のパターソンの日常を描いた映画ってことと、後半に登場する永瀬正敏の演技が印象深かったよなくらいだった。

そんなものだから、何年かぶりにこのPATERSONのBlu-rayを観て驚いた。ストーリーの展開がPARFECT DAYSにかなり近しかったのだ。


パターソンの1日は午前6時過ぎ、同じベッドに眠る妻ローラにキスするところから始まる。

その後一人で朝食を摂り、職場のバス営業所まで歩いて向かい

仕事(運転)中は乗客の会話に耳を傾け

そこから生まれた言葉をノートに書き留め

帰宅後は妻ローラと夕食、その後愛犬マーヴィンの散歩、途中馴染みのバーに立ち寄りビールを一杯だけ飲んで帰り、眠りにつく。


この繰り返しの日常の中にちょっとした出来事が挟まれて月、火、水、木、金、土、日と物語は淡々と進んでいく。


この展開はかなりPERFECT DAYSに近いし、日曜、一人で出かけたパターソンが滝の見えるベンチに座っていると、敬愛する詩人が過ごしたパターソンの街(実はパターソンの住む街の名がパターソンという・・)にやって来たという日本人(永瀬正敏)に声を掛けられるところなんかは

PERFECT DAYSの後半で繰り広げられる三浦友和との短い時間のやり取りからちょっとした友情が生まれるシーンを想起させる。


2巡目の月曜の朝、いつものように妻ローラの隣で目覚めるパターソンの場面で映画の終わりを迎えるのは、PARFECT DAYSでの平山(役所広司)がいつもどおり朝目覚め仕事場へ向かう車内の場面で終わるのと一緒といえば一緒。少し違うのは、PATERSONのラストから感じるのはいつもと同じ朝、PERFECT DAYSのラストではいつもと同じ朝ではあるが平山の変化していく表情からはいつもと同じ朝の中にある新しい何かというところか。


ヴィム・ヴェンダースがジム・ジャームッシュのPATERSONを観てインスパイアされたものがあるかどうかはわからない。きっと、そんなことはないのだろう。実際、そこに触れた映画評なんかは目にしてないし、映画のパンフレットでは小津安二郎に通じているなんてことが書かれていたのだから。

それでもこの二つの映画に近似性を感じたというのは事実で、自分にとってそう感じたのは真実だと受け止めるだけ。


ただ、PATERSONには感じなかった、ある種の心のざわめきをPERFECT DAYSに感じたのは何だったのか。


単に映画の舞台がなじみ深いこの日本だったということではなく、映画に通底する何かがそう感じさせたのだろう。


PATERSONに登場するパターソンと永瀬演じる男性二人が愛する詩人ウィリアムズの詩集を手にしようとは思わなかったが、PERFECT DAYSで役所演じる平山が読んでいた幸田文の木という随筆は読んでみなければと感じた違い。




この辺りを突き詰めて考えるのも映画を愉しむ醍醐味なのかも知れないが、そこに至らないののが何事も中途半端な感じの自分らしさといえば聞こえがよすぎるか。


まぁ、PATERSONにはPATERSONの、 PERFECT DAYSには PERFECT DAYSの、それぞれの味わい深さがあることだけははっきりしているのだし、似たような展開の映画であっても、そこから自分に沸き上がってくるものはかなり違ったものになるという体験ができたのだから、二週に渡ってよい週末を過ごすことができたということで良しとしよう。


映画もロックに負けず、なかなかなものである。



今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。