何度もこのブログで記しているがROCKの扉を開いてくれたのはベイ・シティ・ローラーズ。
その後ここまでROCKを聴き続ける原動力になっているもののひとつは、デビューしてから40年も止まらずに活動を続けるザ・モッズの一貫したスタイル。
そして、そのモッズを始めとした日本のロックに傾倒していく流れの起点になったのはザ・クラッシュのロンドン・コーリングとの出会いだった。
にもかかわらず、クラッシュ解散後のジョー・ストラマーの活動を熱心に追うことはなかった。かといって、ジョーのその後の作品を聴いてこなかったわけではない。ソロもメスカレロスもリリースされれた作品はしっかり手に入れてはいたのだから。
ただ、それらの作品としっかりと正面から向き合うことがなかっただけのことだ。
それだけクラッシュの存在が大きかったのか、それともクラッシュから離れたジョーの変遷を辿っていくことが怖かったのかは自分でもよくわからない。長いことそんな気分が続いていただけなのかもしれない。
この3連休に入る直前の金曜の夜、昨年から始まったモッズのYouTube配信企画ROCKAHOLIC TV SHOWをおさらいのつもりで初回から観ていたら、コロナ禍で家に籠っている間、ビートルズのアンソロジーを始めとした自分のルーツミュージック関連の映像作品をじっくり観ていたとモリヤンが語っているのに触発され、ジョー・ストラマーの最期の2年をとらえたロック・ドキュメンタリー「レッツ・ロック・アゲイン」を久しぶりに観てみようという気分になった。
これがここ最近の自分にとても響いてくる内容だった。以前にも何度か観ているにも関わらず、今、この時になってだ。
この作品で目にすることができるジョーは、クラッシュの頃のようにアグレッシブなスタイルが前面に出ることはないが、穏やかさとその穏やかさの中からときたま顔を見せるアグレッシブな面、あの頃から変わらない真摯な姿、それらのひとつひとつが観ているこちらの胸を打つ。
そう、映画ルードボーイの中でピアノを弾きながら酔いどれレイに語るあの時のジョーが再び現れたかのように、会社の中でモチベーションがあがらない日々が長く続く自分に、ジョーの口からいくつもの大切な言葉が零れ落ちてくるのだ。
この作品の終盤に
でも、まだやれる
やろうぜ
もう一度やろう!(LET’S ROCK AGAIN!)
という言葉を残したジョーは、この後、ほどなくして50歳という若さであの世へ旅立ってしまった。
彼の歳を軽く超えてしまった自分にもまだやれることは残っているだろうか、否、とにかくやらなければ、ジョーにパンクに出会った意味が消えてしまいそうだ。
もう一度やろう!
LET’S ROCK AGAIN!
今の自分に最も必要な言葉がここにある。