二十代前半の頃、スペイン料理屋で2年ほどバイトしていた時期があった。

3年前、葉山に住む「前世が見れる人」に
君の2つか3つ前の前世はスペイン人で、何か伝えたい事があるようで今、色濃く現れているよ!
なんて言われたとき、
だから僕は過去にスペイン料理屋で働いてたのか〜〜
なんて思った事があったっけ。


スペイン料理屋のマスター(当時70歳の超頑固オヤジ)は、現代の常識が通じないほど厳しかった。

「この雑巾が白でも、おれが黒って言ったら黒なんだよ!わかったか!?」

なんて、よく言われていた。

「おれが創業当時のホテルオークラで働いていた時、ちょっと失敗すれば先輩にアイスピックでケツを刺されてたんだぞ!」とか


そんな僕はマスターにお客様の前で叱られたり怒鳴られたりするのも当たり前。

僕なりの判断でお客様のグラスにビールを注ぐのをあえて遅らせていても、
どこ見てんだてめぇ!と怒られたり。笑

理不尽の究極をそこでは毎日体験したな

そこで働いていたお陰で超絶理不尽なことが身に降りかかったとしても、

「はい、かしこまりました」

と、心を菩薩にして、無にして生きる術を身につけた。

スーパー気分屋なB型のマスター

僕はしょうがない精神で全てを受け入れていた。


そして店のママ(マスターの奥さん)もスーパー気分屋のB型。
機嫌がいい日は穏やかなおばあちゃん。
しかし機嫌が悪い日は嫌な仕事を僕に押しつけて来たり、ひたすらマスターの愚痴を浴びせて来たり…

クソババア!ふぁ◯く!なんてよく思っていた。

しまいにはマスターと喧嘩して帰宅してしまったり…

そんなママと接していた僕は自然に菩薩の精神が身についた。


そしてマスターとママの息子さんは超絶気分屋、わがまま、な、B型中年サラリーマン バツイチ

時々店に顔を出しては店のカウンターに居座り、賄いを食べ、両親にブーブー日常の文句を言って、ついでに嫌味を僕に浴びせて、帰る。

クズブタ野郎って、いつも思っていた。

マスターとママに関しては、気分屋だけど時折可愛い老人だなぁと思う一面や、本当は温かいんだなって感じる時がたまにあったり、なんだかんだ好きだった。

しかしスーパーワガママ気分屋な息子さんはなかなか好きになれなかった。
てめぇ、どうやって育ったらそんな人間になるんだ!親の顔を見てみたいわ!
と、思いながらも笑顔で菩薩になったような気分で接していた。


でも息子さんに有り難く思っている事が一つあって、
カメラ好きな息子さんはお店にカメラをいくつも飾っていたのだけど、興味津々に眺めていたらそのうちの一つをくれたのだ。

オリンパスペン EE-3

別に高価なカメラではないんだけど、その時はびっくりした。

すごく嬉しかったな〜

この一家、機嫌が良い時はすこぶる良く
以前マスターにもレイバンのビンテージサングラスをもらった事があった。マジ謎だ。
今も愛用している。

当時21歳ぐらいの少年からしたら、そんな事でバイトを頑張るモチベーションに繋がったりしたもんです。


カメラの話に戻ると
当時主流だったデジカメを持っていたし、イマイチ使い方も面倒だし、試しにフィルムを買って使ってみたけど現像代は高いし、上手く撮れないし
フラッシュ無いし
屋内じゃ撮影できないし
やっぱり画質はショボいし…

引き出しの奥に眠るハメになった。



でも、10年の時を経て最近使い出した。

なんかすごく気に入っている。

今、現像代も払えるぐらいの収入はある
アナログな質感の写真の良さもわかるようになってきた
むしろ時代がアナログ回帰な時代でフィルムカメラ熱が当時より高まっている感じもするし

しかもこのPEN EE-3はのぞき穴が縦なんですよ。

そのまま撮影するとiPhoneみたいな縦型写真が撮れる。
そしてハーフカメラだから24枚フィルム入れれば48枚撮影できる。

なかなか、おもしろい。
不器用な楽器を演奏しているみたいだ。


縦型写真、ブログに載せても悪くないでしょ?
これはブレてるけど

大好きなカレー屋











台湾



去年の年末 北海道




横に撮るとこう





ちなみにそのスペイン料理屋さんはクビになりました。

会社を辞めた息子さんがその店の社長と言うポジションになり、シフトを作るようになった。

他にもバイトを掛け持ちしていたり、バンドをいくつもやっていた僕は月に3、4回しか出勤していなかった。

急に息子さんから「前回の出勤をもって退職願います」なんてメールが来てさ。

はっ!? ってなるよね。

僕の2年間、その一文で終わりなの?って…

僕はマスターとママの事が結構好きだったから、なんか寂しさと怒りが混じりながらその一通のメールで辞めたのでありました。

世の中いろんなタイプの人がいますね。

ぼくが辞めた2年後ぐらいにお店はつぶれてしまった。
正直、お客さんは全然入っていなくて、常連の大学の教授さん達なんかでもっていたようなもんだった。

場所も、池袋の細い路地の風俗店の地下と言う、超隠れ家的な場所であった。

マスターのクセが強すぎてなかなか新規のお客さんもつかなかった。笑

40年もやっていた老舗で、お店の内装も上質なレンガ造りでいかにもバブリーな時代に作られたなって感じ。
それが年季が入って家具も全てリアルヴィンテージ。
お店の雰囲気自体はとてもカッコよくて好きだったからちょっと残念だった。

マスターのこだわりで、ピアノの生演奏もほぼ毎晩入れていた。
お客さんが来ない日もピアノのおばちゃんがいたりしたなぁ。


マスターは超セッカチで、
「飯はとっとと食え!戦争始まったら飯なんて食えねーんだぞ!」が口癖。

仕事終わりに焼肉に連れてってくれた事があったんだけど、大皿に乗った肉達を素手で網の上に一気に流し込むのを見たときは言葉を失った…笑

マスター、生きてるのかな…

電話してみようかなあ…


そんな事を思い出してしまう
なんて事のないフィルムカメラ
PEN EE-3であります



頑張って撮った自撮りin台北



ちなみにそのスペイン料理屋で働くことになったキッカケは、3年前に亡くなった師匠がそのスペイン料理屋さんで演奏するって時にローディーとして付いて行って、息子さんにうちで働かないかと声をかけられたのがキッカケだった。