昨晩はずっと楽しみにしていたエスペランサ・スポルディングのLIVEを見にブルーノート東京へ。
ステージに登場し、コントラバスを一音鳴らし、アカペラで歌い出し、その瞬間心がジワっとして目から涙がでた。
歌声で
こんな事は久しぶり。
エスペランサのベースボーカルに、ギター、ドラム、と言うミニマムな編成も生々しくてとてもよかった。
ここ最近見たLIVEの中でも群を抜いて
そこらのライブハウスで人のLIVEを見る事も大事だと思うけど
世界の、それもいま世界のトップアーティストと評されている人を間近で見る事もとても大事だなぁと身に染みて感じた。
若干32歳にして彼女は世界各地でどれほどの数の人に感動、影響を音楽を通じて与えてきたのだろうと
LIVEを見ながら考えていた。
素晴らしいアーティスト、特にベーシストを見たとき感動感激と同時にあるあるなのが、
絶望を味わう事である。
同じ土俵で生きようとしているからこその絶望。
今回は清々しいほどに、自分には音楽の才能が無いという事を突きつけられたようだった。
同じミュージシャンとして、ましてや同じベーシスト、何一つ及ばなすぎた。
むしろ、「同じミュージシャン」と言う言葉を使うのも恥ずかしくなるほどに。。。
しかし絶望は全くなかった。
ちょっと前の自分だったら絶望だったかも知れないが…
自分は自分できっとこの現世において、自分にしかできない事があるはずだと、ポジティブバイブス強めに生きるようになってから(笑)絶望と言う選択肢がなくなった。
楽である。
音楽をジャンルと言うカテゴリーで分けるのは、今の時代もはやナンセンスみたいな事はよく言うよね。僕もそうだと思う。
カテゴライズしてあーだこーだ評するのとかどうでもいい
と思いつつ、自分もその癖があるが。
昨日思った事が、もはや職業、生き方をミュージシャンとかサラリーマンとか言うカテゴリーで分別するのもいらないんじゃないかと言う気がした。
なにを訳のわからない現実逃避な事言ってんだ!と言われそうだが…
サラリーマンだって俗にアーティスティックと言われるその人の感性、個性を仕事に反映させる事だってできるし。
音楽家と言われる職業の人に、アーティスティックとは違う、なんかシステマチックな感じで音楽の仕事をどんどんこなしていく人もいる。
どんな職業であろうと職業と言うカテゴリーで分けられてしまっているだけであって究極、職業の肩書きって忘れて生きてもいいんじゃないかなあ。
エスペランサと自分をベーシストと言う枠で比べた時に違いすぎたため、自分はこんな事を思ったのでしょうか。枠はいらない。
まっ、ニートの日(2/10)生まれの自称ニートの戯言かも知れませんのでお気になさらず…
音楽の才能がある人って、その人の持ってる才能を音楽で発揮できている事を言うのだろう。
自分ならではの個性と言うものはきっと皆んなあるわけで誰かに影響を与えて世の中まわっているのだろう。
自分にエスペランサほどの音楽に長けた才能は全くないわけだが、
僕は僕の使命があって今、前田竜希として生きているはずだ。
と、信じても、いいですか神様?
コントラストバスをあんな風に弾けたら楽しいだろうな〜
僕もがんばろう!!
希望をたくさんもらいましたわ!!
とりあえず
エスペランサさん!
毎日ご飯作るから結婚してください!