ラピュタ阿佐ヶ谷
製作:松竹
監督:大曽根辰夫
脚本:柳川真一
原作:菊田一夫
撮影:服部幹夫
美術:堀保治
音楽:大久保徳二郎
出演:水島道太郎 木暮実千代 月丘千秋 汐見洋
佐伯秀男 斎藤達雄 月丘夢路 ディック・ミネ
1947年1月28日公開
順三(水島道太郎)は上海の魔屈を根城にする蘇州の鉄(佐伯秀男)の弟分として悪事を働いていましたが、やくざ同士の抗争中に手入れにきた刑事を撃ち、自身も深手を負います。その後、順三は倒れているところを栗原(汐見洋)に救われます。
栗原は順三を長崎へ連れ帰り、育児院「希望の家」で子供たちの世話をさせます。栗原と保母みち子(月丘千秋)の温情によって、彼は更生の一途を辿りました。ところが、かつての順三の弟分(ディック・ミネ)が居場所を突き止め、蘇州の鉄が会いたがっていることを伝えます。鉄は順三を阿片密輸の仲間に加えようとして、あらゆる策を弄し、彼をのっぴきならない状況に追い詰めます。
順三は自棄を起こし一度は鉄の元に戻ったものの、鉄の情婦・お浜(木暮実千代)が好意を示したことが原因となり、順三は嫉妬した鉄に撃たれます。急遽呼ばれた老医師(斎藤達雄)は、借金の片に上海に売り飛ばされそうになる娘を、順三が傍観しようとしたことから、手当てをせずに帰ろうとするのですが・・・。
本作はならず者がやくざの世界から足を洗って、キリスト教系孤児院の先生として更生しようとするも、再びやくざに引き戻されそうとする、如何にも手垢のついた話です。時代設定が昭和17年なのに全くその雰囲気が感じられず、戦時中にも関わらずわざわざキリスト教系の孤児院を持ち出してくるのは、占領下のGHQにおもねっているの?と邪推したくなります。それでも、いつもいぶし銀の芝居を見せる水島道太郎が、子供と無邪気にかくれんぼ遊びする姿は貴重と言えば貴重ですが・・・。
大曽根監督の演出はよく言えばオーソドックス、悪く言えば古臭い演出で、娯楽作はテンポの良さが大事なのに、もたついている感じがするのも辛いものがあります。また、順三が殺したと思い込んでいた刑事が実は生きていたり、順三をやくざの世界に引き戻そうとする弟分が、クライマックスの場面で自分も堅気になると宣言して順三に協力したりするのも、些か都合が良過ぎて白けます。
水島道太郎の相手役の月丘千秋は、月丘夢路の妹で、顔立ちは姉より好みなのですが、如何せん芝居のほうがムニャムニャ・・・。因みに月丘夢路も尼僧役として特別出演しており、妹とも少しばかり絡む場面があります。この辺の事情は単にファンサーヴィスなのでしょうか?
木暮実千代はやくざの親分の情婦ながら、主人公のことを憎からず思っており、最後は順三と逃避行しようとまでします。同じ情婦役でも黒澤明の「酔いどれ天使」の薄情な悪女役ではなく、常に優しさと労りが感じられる善人役でした。
ラストは教会の前に力尽きて倒れた順三が、幽体離脱して復活祭の食事の席に向かおうとする描写で終わるのですが、ラストに到るまでの大曽根監督の演出に色々問題があるため、本来心打たれる場面がホラーのように感じられたのが悔やまれます。
