阿佐ヶ谷駅前の書店『書楽』さんが1月31日付を持って閉店しました。ラピュタ阿佐ヶ谷で映画を観る際に、上映時間まで中途半端に間がある時などは、置いてある本を眺めながら過ごしていただけに、些か寂しい想いがします。あまり売り上げには貢献できなかったことを心苦しく思いつつ、最後に音楽誌の「レコードコレクターズ」を買いました。
チラシより
自ら命を絶った不幸な若き女性ベラは、天才外科医ゴッドウィンの手によって、奇跡的に蘇生する。ゴッドウィンの庇護のもと日に日に回復するベラだったが、「世界を自分の目で見たい」という強い欲望に駆られ、放蕩者の弁護士ダンカンの誘惑で、ヨーロッパ横断の旅に出る。急速に、貪欲に世界を吸収していくベラは、やがて時代の偏見から解き放たれ、自分の力で真の自由と平等とを見つけていく。そんな中、ある報せを受け取ったベラは帰郷を決意するのだが---。
製作:イギリス
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:トニー・マクナマラ
原作:アラスター・グレイ
撮影:ロビー・ライアン
美術:ジェームズ・プライス ショーナ・ヒース
音楽:イェルスキン・フェンドリックス
出演:エマ・ストーン マーク・ラファロ ウィレム・デフォー
クリストファー・アボット ジェロッド・カーマイケル
2024年1月26日公開
ヨルゴス・ランティモス監督の映画は、「籠の中の乙女」を皮切りに、「ロブスター」「聖なる鹿殺し キリング・オブ・セイクリッド・ディア」「女王陛下のお気に入り」を観続け、いつの間にか変てこな作風の虜になりました。前作の「女王陛下のお気に入り」は毒気が薄らいでやや物足りなさを感じましたが、この映画は再び妙ちきりんな魅力が戻ってきている上に、一般ウケしそうな演出の巧みさも感じられました。
本作はメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」とジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」を合体させたような作りになっています。ベラはフランケンシュタインの怪物同様に、知的好奇心を持ち学習意欲もありながら、なかなか相手に受け入れてもらえません。また、ヒギンズ教授よろしくゴッドウィンが“教育”しようとしても思い通りにはなりません。この2点を踏まえながら、映画はベラが成長し変化を遂げる姿を追っていきます。
ベラは真っ新な状態の脳を移植したため、最初のうちは幼児のように本能のまま行動をします。自分の気に入らないことがあれば、物を破壊して自己主張します。それが、ゴッドウィンの粘り強い教育によって理性を学んでいきます。彼女は自我に目覚めると同時に、もっと広い世界を知りたいという欲求に駆られます。しかし、ゴッドウィンと彼の下で働くマックスは、未成熟なベラを外に出すことを躊躇い、屋敷に閉じ込めようとします。この辺りは思春期の少女とその親にありがちな家庭内における通過儀礼に似たところがありますね。
ベラはマックスと婚約しているにも関わらず、遊び人のダンカンに唆され二人で旅に出て行ってしまいます。自由人を気取るダンカンは、世間知らずのベラに様々なことを手ほどきしようとするのですが、この辺りもいい年をしたオヤジが若い女性に常識を教え込む際の鬱陶しさがあって苦笑させられます。
結局、ダンカンはベラを持て余し、世間一般の男達と同じように、彼女を枠に嵌めようとします。その挙句、ベラを騙して客船に乗せ、停泊地に着くまで船から出られないようにします。本来、ダンカンはベラを遊び相手の一人としか意識していなかったにも関わらず、一緒に過ごすうちに本気になり、正にミイラ取りがミイラになります。しかも、最終的に社会意識に目覚めたベラによって、一文無しにされるのですから笑えます。
ダンカンが一文無しになったため、彼とベラは強制的に船を下ろされ雪の降るパリに辿り着きます。ベラは宿泊するホテルを探そうとして娼館に迷い込み、そこで客を取る羽目になります。彼女は社会勉強の一環と割り切るのに対し、客と寝たことを知ったダンカンは激怒し、ゴッドウィンがベラに秘かに渡した金を奪って彼女のもとを去っていきます。
ベラは暫く娼館で働くうちに、商売の件でマダムに改善案を提言します。それに対し、マダムは店の事情を打ち明けた上で、やんわりと拒否します。ベラも理想論を振りかざそうとはせずに、折り合いを見つけようとします。この点は世の中を知るようになったベラの成長の跡が窺えます。
やがて、ゴッドウィンの容態が悪化したことを報せる手紙が届き、ベラはロンドンに舞い戻ります。ベラと婚約中だったマックスは、彼女が一時期娼婦の身であったにも関わらず想いは変わらないことを伝えます。マックスの決意を確認したベラは、ゴッドウィンの立ち合いのもと、結婚式を挙げようとします。ところが、そこにベラと曰くつきのある人物が現れ・・・と言った具合に、この後もベラの波乱万丈な物語は続いて行きます。
本作は脳を移植されたことにより、無垢な状態の女性が世間の荒波に揉まれる物語としても面白いですが、女性の社会進出を阻む時代が背景になっている点も見逃せません。ベラは原理原則を貫くことによって、女性を家庭に閉じ込めようとする狭量な男達の傲慢さと欺瞞を図らずも暴いてしまうからです。
男達からの圧力に怯むことなく、しなやかに対処するベラが、天然なキャラクターと相まって実に魅力的に映ります。こうした点がリベラルな映画人に支持され、ヴェネチア映画祭での金獅子賞の受賞、ゴールデングローブ賞の最優秀作品賞(ミュージカル/コメディ)、最優秀主演女優賞(ミュージカル/コメディ)の受賞に繋がったように思います。
そして、ヒロインのベラを演じたエマ・ストーンの弾けっぷりが最高でした。裸を曝し、濡れ場も辞さず、おまけに卑猥な言葉を連発。でも、元々ベラが生まれたての状態という設定から、男達と関係を持ってもあばずれの感じはしませんし、卑猥な言葉もいやらしく聞こえません。彼女なしでは成り立たなかった映画で、彼女の代表作のひとつとなるでしょう。