世界ミドル級チャンピオンにまで上り詰めたボクサーの数奇な半生 「レイジング・ブル」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:マーティン・スコセッシ

脚本:ポール・シュレイダー マーディク・マーティン

原作:ジェイク・ラモッタ ジョセフ・カーター ピーター・サヴェージ

撮影:マイケル・チャップマン

美術:ジーン・ルドルフ

音楽:レス・ラザロビッツ

出演:ロバート・デ・ニーロ ジョー・ペシ

        キャシー・モリアーティ フランク・ヴィンセント

1981年2月14日公開

 

ジェイク・ラモッタ(ロバート・デ・ニーロ)は、かつて世界ミドル級の王座に輝いたこともあるボクサーでしたが、今ではスタンダップコメディの仕事に就いていました。

 

1941年、デビュー以来無敗を誇っていたジェイクは、黒人のミドル級ボクサーとの闘いで、7回にダウンを奪ったにも関わらず、判定負けを喫します。怒りの収まらない彼は妻や弟でマネージャーのジョーイ(ジョー・ペシ)に当たり散らします。そんな折、ジェイクは市営プールで、まだ15歳のブロンドの少女・ビッキー(キャシー・モリアーティ)と出会います。2人はジェイクに妻子がいるのもお構いなしに交際を始めます。

 

1943年、ジェイクは当時無敵とされていたシュガー・レイ・ロビンソンを破ります。ところが、すぐに行われたリターン・マッチで、またしても不可解な判定に屈します。その裏には、八百長試合を仕組む組織の大物・トミー・コモ(ニコラス・コラサント)が居たからでした。ジェイクは長らく彼の八百長試合の誘いを拒み続けてきましたが、タイトル・マッチの誘惑に負け、八百長を承諾してしまいます。ジェイクは格下相手にわざと負けねばならない屈辱を味わいますが、その見返りにより彼は念願のチャンピオンへの挑戦が認められます。

 

1949年、このタイトル・マッチにおいて、ジェイクは見事にマルセル・セルダンをTKOし、チャンピオンベルトを手にします。しかしこの頃から、ジェイクのビッキーへの強い猜疑心と嫉妬が深くなっていきます・・・。

 

本作は、世界ミドル級チャンピオンの座に就き、「怒れる牡牛」と異名をとったジェイク・ラモッタの自伝を基に、彼の数奇な人生を描いています。この映画は封切り時に観たきりで、40年振りの鑑賞となりました。1981年当時は陰気なボクシング映画の印象が強く、正直好きなタイプの映画ではありませんでした。これは40年経っても変わらなかったですね。

 

ロバート・デ・ニーロが体重をかなり増量して話題になりましたが、そのプロ根性には感服しても、彼の演じるジェイク・ラモッタがどうにも感情移入できないキャラクターをしているので、その辺りに好きになれない理由があるのかもしれません。私もダメンズ、懲りないバカは大好物。でも、どこかしら可愛げのある部分があるからこそ、好きも成り立ちます。

 

しかし、この主人公には可愛げはなく、直情的で異様に嫉妬深い男のイメージが付きまといます。八百長を拒絶する潔癖さや、決してマットに沈もうとしない不屈の精神は認めてあげたいですが、嫉妬のあまり女に手を上げる行為が全て台無しにします。また、ロリコン趣味があるのもいただけません。ビッキーが15歳の時に彼女を見初め、ボクシングを引退してからも14歳の女の子を水商売に雇ったことで刑務所送りになっています。

 

主人公に思い入れがない分、兄貴と裏社会の人間との板挟みとなる弟のジョーイの立場に目が行きます。彼もジェイク同様、すぐに頭に血が上るタイプですが、論理的思考に欠ける兄貴と違い、怒りが沸騰するまでにはそれなりの段階を踏んでいます。クラブでのサルヴィとの乱闘でも、兄が義姉に暴力を振るわないよう事前に回避するための措置と捉えれば、やむを得ない行為とも思えます。デ・ニーロにばかり注目が集まりそうな作品の中で、ジョーイ演じるジョー・ペシの渋い芝居が光っていました。

 

肝心の拳闘場面は、ジェイク・ラモッタのキャラクターと相まって、主人公に対してなかなか肩入れしづらいです。加えて、デ・ニーロの動きが本職のボクサーと比べると鈍く感じられるのも辛く感じられます。結論としては、マーティン・スコセッシの白黒の画面(一部パートカラー)を活かした演出は見どころがある反面、主人公の言動が嫌悪感をもよおすため、苦手なタイプのボクシング映画です。