健さん演じる佐々木小次郎登場 「宮本武蔵 二刀流開眼」を観て | パンクフロイドのブログ

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ラピュタ阿佐ヶ谷

錦之助 映画祭り より

 

製作:東映

監督:内田吐夢

脚本:鈴木尚之

原作:吉川英治

撮影:吉田貞次

美術:鈴木孝俊

音楽:小杉太一郎

出演:中村錦之助 入江若葉 丘さとみ 竹内満 江原真二郎

        平幹二朗 河原崎長一郎 薄田研二 高倉健

1963年8月14日公開

 

武蔵(中村錦之助)は般若野で不逞の浪人衆を倒した後、城太郎(竹内満)を伴って、柳生石舟斎宗厳(薄田研二)の屋敷に向かいます。しかし、この剣豪は誰とも一戦交える気はなく、武蔵は戦う機会を窺っていました。また、吉岡清十郎(江原真二郎)の弟伝七郎(平幹二朗)も、石舟斎に会おうとしますが、石舟斎の世話をしているお通(入江若葉)を介して拒絶されます。

 

武蔵は伝七郎に渡された花の茎の切り口が、石舟斎が刀で斬ったものと認めると、一計を案じ、柳生四高弟と剣談を交えるところまでこぎつけます。ところが、城太郎が紀州公より賜った柳生家の愛犬を打ち殺したことから、高弟たちと対立した末、その場を去らなければならなくなります。お通の笛の音を耳にした武蔵は、石舟斎の庵の前に立ち、庵内にお通の姿を認めたものの、お通も武蔵に気付くと、逃れるように姿を消します。

 

その頃、吉岡の門弟祇園藤次(南廣)は、旅先で佐々木小次郎に髷を斬られ、道場に戻れなくなります。彼はお甲にそそのかされ、彼女と共に旅先で掻き集めた金を持って逐電します。門弟たちが藤次とお甲を追っている中、小次郎は清十郎と出会い吉岡道場の客となります。一方、伏見城の改修工事に従事していた本位田又八(木村功)は、小次郎あての免許皆伝の状を偶然手に入れ、小次郎の名を騙って京に出ます。

 

そこで、又八は朱実(丘さとみ)と再会します。彼女は清十郎に手籠めにされた上、母お甲も行方をくらましたため、悲嘆に暮れていました。そこに小次郎が現れ、小次郎と騙っていた又八の化けの皮が剥がされます。やがて、清十郎の許に武蔵からの手紙が届きます。彼は門弟たちとの相談の上、日取りと場所を決め、五条大橋のたもとへ高札を立て武蔵に報せます。

 

その高札を見ていた朱実は、武蔵と再会します。武蔵の姿を目に留めた小次郎は、清十郎に決斗をやめるよう促すものの、吉岡道場の当主としての意地が、小次郎の進言を拒ませます。そして、決斗の日が来ます。清十郎は門弟たちを近くの乳牛院の原に待機させ、若党一人を従え目的の地へ行きます。武蔵は叢から現れ、真剣を手にした清十郎に対し、木刀で一撃し左肩の骨を砕くのです・・・。

 

第三部からは、健さん演じる佐々木小次郎が登場します。サディスティックなキャラクターの健さんを見られるのが、まず貴重。健さんは初期作品では、結構ヤンチャでとっぽい人物を演じているので、それが今回の役柄でも生かされています。小次郎の傲岸不遜な態度はそこかしこに見られ、その上冷酷ときています。

 

その冷酷さを表す極めつけは、肩の骨を砕かれた清十郎を、門弟たちが戸板で運ぶのを止める場面。吉岡道場の当主とあろう者が、戸板で運ばれる姿は名門の名折れであると指摘し、自力で戻るよう促します。更に、世間への体裁を繕うため、門弟たちに腕を斬れと命じる清十郎に、門弟たちが尻込みをする中、進んで彼の願いを叶えてあげます。そればかりか、清十郎に体を奪われた朱美に、復讐が果たされたことを仄めかします。清十郎にしても、朱実にしても、一見本人の望みを叶えさせたように見えながら、実は小次郎のドス黒い底意地の悪さも感じさせます。

 

一方、武蔵は純粋に剣の道を究めようとして、柳生石舟斎宗厳と接触を試みます。清十郎の弟伝七郎ですらお目通りが叶わないのを知っているだけに、生半可な方法では会ってもらえないのを理解しています。石舟斎は伝七郎に無駄足を踏ませた代わりに、旅の慰みに花を進ぜます。同時に石舟斎は、手向けた花によって伝七郎の武芸者の腕も確かめようとします。

 

だが、伝四郎は石舟斎の意図には気づかず、剣士として二流であることを証明してしまいます。巡り巡ってその花は、武蔵の目に触れ、茎の鮮やかな切り口から、宗厳が刀で斬ったことを認めます。彼はその花の茎を利用して、石舟斎の四高弟とお近づきになる機会を得ます。伝七郎に花を届ける役目をするのが、お通というところも憎い演出。彼女が近くにいる武蔵と逢えそうでなかなか遭えないもどかしさが堪りません。

 

二人のすれ違いは何度もあり、主に武蔵がお通から逃げる形になります。本作でもお通の吹く笛の音で、石舟斎の庵にいることが分かり、門前まで行きながらその場を立ち去っています。お通にしても、五条大橋で武蔵を目にしながら、一緒にいた朱美との仲を誤解して、自ら身を引いてしまいます。「宮本武蔵」シリーズは、武蔵の剣の修行を軸にしつつ、意外とメロドラマの要素も色濃く反映されています。

 

また、惚れた女に対する男の弱さも顕著に表れています。お甲の色香に迷った又八、朱実に男として魅力がないことを見透かされた末に彼女を力づくで奪った清十郎、お甲にそそのかされ吉岡道場のために掻き集めた金を持ち逃げする藤次。その背景には、手柄を立てて立身出世を試みた野心だったり、二代目としてのプレッシャーだったり、武士の体裁を繕うためだったりと、様々な事情がありますが、いずれも世間に対する見栄から起きているように感じられます。

 

その点、武蔵や小次郎は世間を気にせず独自の道を歩んでいますし、沢庵和尚、日観、石舟斎も俗世間とは別世界に生きています。前作では武蔵と城太郎の交流が、一服の清涼剤になっており、本作では又八とちゃっかりした浪人とが絡む場面が、箸休めの役割を果たしています。金回りの良さそうな又八に馴れ馴れしくたかるかと思えば、又八が小次郎の名を騙った途端平伏するなど、谷啓がコメディアンの本領を発揮します。また、又八も本物の小次郎を前にして慌てふためく滑稽さが、小次郎の毒っ気を幾分和らげ、いいアクセントになっています。

 

内田吐夢は相変わらず一つ一つの絵に力があり、画面から目を離せなくなります。本作もあっという間に時間が経ってしまいました。第四部はシリーズ中でも評価の高い「一乗寺の決斗」。気分は更に上がる一方です。