波乱万丈のドラマ 「風と共に去りぬ」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作年:1939年

製作:アメリカ

監督:ヴィクター・フレミング

脚本:シドニー・ハワード

原作:マーガレット・ミッチェル

撮影:アーネスト・ホーラー

美術:ウィリアム・キャメロン・メンジース ライル・ウィーラー

音楽:マックス・スタイナー

出演:ヴィヴィアン・リー クラーク・ゲイブル オリヴィア・デ・ハヴィランド レスリー・ハワード

1952年9月4日公開

 

1861年、南北戦争が始まろうとする直前。ジョージア州タラの大地主ジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、ウィルクス家で開かれるパーティーに出席します。激しい気性と美しさをあわせ持つスカーレットは、多くの青年の憧れの的でしたが、スカーレットは幼馴染であるアシュレー(レスリー・ハワード)しか眼中にありませんでした。

 

ところが、アシュレーは彼の従妹メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)との結婚の決意が固く、スカーレットが想いのたけを彼に伝えても、心変わりをすることはありませんでした。そんな折、スカーレットは、図書室でレット・バトラー(クラーク・ゲイブル)と出会います。彼女はアシュレーとの一部始終を聞いていたことに怒りを覚えながらも、何か惹かれるものを感じ取ります。そこに突然、戦争の開始が伝えられます。

 

スカーレットは失恋の痛手から、メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れ結婚をします。また、メラニーと結婚したアシュレーもチャールズと一緒に南北戦争に参加します。だが、チャールズは病死をし、スカーレットは若いみそらで喪に服す生活を強いられます。その味気ない生活から逃れようとするように、アトランタにいるメラニーの元へ身を寄せ、陸軍病院のバザーでレットと再会します。

 

戦況は南軍に芳しくなく、スカーレットとメラニーも看護婦として後方支援をします。やがて、アトランタに北軍が迫り、スカーレットと生まれたばかりの子供を抱えたメラニーは、レットの御する馬車で故郷へと向かいます。レットは途中敗色濃厚な南軍に参加し、残された二人はやっとの思いでタラの地に辿り着きます。しかし、そこはすでに廃墟になって、スカーレットの屋敷も北軍によって金目のものは奪い去られ、母親は亡くなり、父親も精神を犯されていました。スカーレットは過酷な状況の中、故郷の地を復興させることを誓います。

 

戦争は南軍の敗北に終わり、捕虜になっていたアシュレーも戻って来ました。夫の帰還はメラニーを喜ばせましたが、スカーレットは再び彼に愛を告白してはねつけられます。タラは重税を課され、土地を守る決意を固めたスカーレットは、北軍の営倉に捕らえられていたレットに金策を頼みに行くものの、すげなく追い返されます。

 

彼女は妹スーレン(イヴリン・キース)の許婚フランクが事業に成功しているのを見ると、彼と結婚し、事業を自分の手中に収めようとします。そして、アシュレーを事業に引き入れ、北軍相手にも商売する節操のなさを見せます。ある日、スカーレットは馬車で帰る途中に、スラムを通過しようとした際、暴漢に襲われます。その時は、昔使用人だった黒人奴隷に助けられますが、後日フランクやアシュレーが報復しようとした際に、フランクが殺されてしまいます。

 

夫が亡くなったことにより、スカーレットはレットの求婚を受け入れ、愛娘のボニーが生まれます。しかし、アシュレーへの想いは断ち切れず、レットはもっぱらボニーへ愛情を注ぎました。こうした夫婦の不和から、レットはボニーを連れロンドンへ行きますが、ボニーが母を慕うため、やむなく戻ってきます。ところが、ボニーは落馬が原因で亡くなり、頼みのメラニーも病死してしまいます。レットとスカーレットの結婚生活は破綻し、レットはチャールズトンへと去ろうとします・・・。

 

およそ30年振りの鑑賞でした。30年前にスクリーンで観た時は、スカーレットの口癖(明日考えよう)、父親と娘の落馬、昔の使用人の元主人への対照的な振る舞いなど、巧みな伏線の張り方や王道のメロドラマの作りに引き込まれ、今回再見した際にも、その思いは変わりませんでした。スカーレットが家の再興を決意する前篇で終わっても、映画は十分成立するのですが、もう一方の主役であるレット・バトラーとの均衡が保てなくなるのも事実。

 

前篇と後篇の色合いも異なって、劇的要素の多い前篇に比べ、後篇はやや地味な作りになっています。ただし、後篇もスカーレットの生活に狭められた分、復興のために憑かれたような行動を取る様は、気儘な娘時代からの変化と成長が窺えますし、スカーレットの生き方とそこから生じる悲劇など、ドラマとしての見どころは多いです。

 

改めて観ると、スカーレット・オハラの性格の悪さが際立っていましたね(笑)。何しろ、意中のアシュレーが従妹のメラニーと結婚することが決まると、腹いせなのか絶望したのかは定かではありませんが、メラニーの兄のチャールズと結婚してしまうのですから。アシュレーがスカーレットと結婚しなかったのは賢明な判断で、いくら彼女が熱をあげても、恋愛と結婚生活は別物。彼女と対等に渡り合えるのは、一筋縄では行かぬタフなレット・バトラーくらいのもの。その彼でさえも、結婚生活は破綻しているのですから、男女の仲は難しいですわ。

 

それにしても、スカーレットのアシュレーへの執着ぶりは異常。他の男と結婚をし、ある程度時間が経てば解決してくれるかと思いきや、益々熱を上げるのだから始末が悪い。確かにアシュレーは人格者だから、惹かれるのも無理はないと思いますが、そこまで執着するほどの男?とボンクラ野郎には思えてきます。尤も、彼女に言い寄ってくる男は、女を見た目の美しさで中味を知ろうとしないアホヅラの男ばかりですから、アシュレーを美化したくなるのも仕方ないのかも。

 

スカーレットは男たちからチヤホヤされるため、周囲の女たちに妬み嫉みを受けやすいです。彼女は女たちからの反感にも微動だにしませんが、メラニーに対しては複雑な思いがあります。スカーレットにとって一番欲しい男を手に入れたにっくき相手であるにも関わらず、彼女との関係を断てば、アシュレーとも逢えなくなるジレンマを抱えるからです。メラニーの兄と結婚する決意をしたのも、彼女と姉妹関係になるのを見越してのことだったのかもしれません。

 

また、メラニーが他の凡庸な女たちのように、スカーレットを目の仇にしてくれれば、スカーレットもメラニーを見下すことができて楽になれたでしょう。でも、彼女は慈悲深く聖母のような存在なので、スカーレットは余計に苦しみことになります。このメラニーのキャラクターも嫌味かと思うほど、できた女性に描かれて、他の女優が演じると鼻白んでしまうところを、オリヴィア・デ・ハヴィランドの気品によって救われています。

 

そんなメラニーと行動を共にしていくうちに、スカーレットも人としての成長を遂げていくのです。実は、レットやアシュレー以上に、メラニーとの関係性がヒロインの行動に影響を及ぼしているのではないかと言うのが、二度目の鑑賞時の印象でした。

 

苦労知らずのお嬢様が、故郷を背負って立つ女性へと成長できたのも、メラニーが常に存在したからこそであり、恋敵から同志のような関係への変化も、彼女の人柄に接すると納得せざるを得なくなります。それにも関わらず、レットと再婚し娘を授かっても尚、アシュレーを忘れることができず、破局を招いてしまうのが、人間の愚かしさを表しており、恋煩いと言うのがピッタリです。

 

話は変わりますが、アメリカでは「風と共に去りぬ」が上映しにくい状況になっていると聞きます。黒人差別と受け止められることを危惧しての自粛らしいです。批判するのは良いにしても、上映中止にまで追い込むのは如何なものでしょうか?坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、映画を全否定しまうのは筋が違うように思います。ポリティカルコレクトネスに熱心なリベラル層は、多様性と寛容性も大切にしているのではなかったの?自分の意向に添わない意見を排除する全体主義が、本当は好きなんじゃない?と嫌味のひとつも言いたくなりますね。