赤松利市 らんちう | パンクフロイドのブログ

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千葉のリゾート旅館「望海楼」の総支配人、夷隅登が従業員と元従業員によって殺されました。犯行後、犯人の一人である石和田徳平が警察に通報したことにより、直接事件に関わった6人が身柄拘束されます。警察の取調べにより、容疑者たちが被害者に恨みを抱いていたことや、劣悪な職場環境などの供述から、徐々に事件の背景が明らかになります。

 

大出隆司(35)厨房契約社員

大出は入社して15年、無遅刻無欠勤で働いてきた真面目な独身。ところが、夷隅が総支配人になって、労働時間が異常に多い契約社員に転換された上に、尊敬する調理長の高梨亀次がリストラに遭ったことで不満を抱いていました。更に大出が夷隅と一緒に、独立した高梨の店を訪れた際にも、夷隅が高梨に無礼な態度をとったため、大出は益々殺意を募らせます。

 

花沢恵美(28)フロント契約社員

花沢は夷隅に時計自慢や彼が飼っているランチュウの自慢をされるのでウンザリしていました。また、自動チェックイン・チェックアウト機の導入直後も、混乱するのは分かっていながら、総支配人の職にある者が顔を見せなかったことにも不信感を抱いていました。更に夜中にロビーの売店から勝手に商品を持ち出したり、厨房の冷蔵庫から飲み物を失敬したりしていることが判明すると、益々軽蔑の気持ちが強くなるのです。

 

石和田徳平(65)元営繕係長

石和田は望海楼に勤めていた時、同じ部署の加藤秀子と恋仲になっていました。秀子は認知症の父親の面倒を見ながら、部長職を務めていました。ところが、秀子がリストラの対象になります。石和田は夷隅に彼女の代わりに自分をリストラしてくれと申し出ます。石和田のおかげで秀子のリストラは撤回されたものの、神奈川にある夷隅の父親の関連会社への転勤を命じられます。管理職のため転勤を拒否することはできず、思い余った彼女は、認知症の父親を道連れにして無理心中をしてしまいます。こうした経緯があっただけに、石和田は夷隅を殺したいほど憎んでいたのです。

 

藤代伸一(35)営繕契約社員

藤代は若女将の純子を、夷隅と結婚する前から好意を抱いていました。しかし彼の想いは届かず、海辺のリゾート旅館の経営を建て直すため、純子が人身御供のように夷隅の妻になったことに忸怩たる気持ちがありました。それでも、彼は同僚の女性と結婚することで気持ちを吹っ切ろうとしますが、披露宴代わりに催したビーチパーティーに、夷隅が乱入した挙句、自分の嫁に侮辱的な言葉を吐いたため、殺意がより募ります。

 

石井健人(26)総務部正社員

石井は公認会計士の資格取得を目指しながら、現在の職場で働いていました。しかし、夷隅の杜撰な経営には危惧を抱いていました。その一方で、彼は貧困問題に深い関心があり、生活保護家庭の児童を対象とした学習塾の講師をボランティアで引き受ける一面もありました。石井は会社が受講させた自己啓発セミナーにいたく影響を受けており、刑期を終えて、セミナーを受講し続けることを考えています。

 

鐘崎裕介(36)厨房臨時社員

鐘崎は前述した5人とは異なり、夷隅の腰巾着をしています。従業員の総支配人に対する評判をご注進するなど、要領よく立ち回っています。自己啓発セミナーに関しても、大出、花沢、藤代、石井とは違い、醒めた見方をしています。彼は遅刻と欠勤を繰り返し、勤務態度は相当ズボラ。殺害の際にも、腕時計や高価なランチュウを行き掛けの駄賃とばかりに、パチろうとするほどモラルもありません。いつ馘になってもおかしくないのですが、夷隅の覚えがめでたいため、仕事が続けられていました。

 

こうした背景があった上で、殺人の直接の引き金となったのが、奉仕活動後のコンフェッション。業務の反省会で終わるはずのコンフェッションは、夷隅の悪意によって、自分の妻である純子を徹底的にいたぶる時間になります。彼女が夫によって貶められ、辱められたことで、彼女を慕う参加メンバーの中に強い殺意が芽生えた末に、殺人へと繋がったのです。

 

容疑者たちの取調べが終わり、続いて彼らと関わりのある参考人への事情聴取が始まります。事情聴取には、望海楼の元副支配人、元取締役総務部部長、夷隅の妻・純子、自己啓発セミナー塾長、元自己啓発セミナー講師が呼ばれ、それぞれ証言をします。そして、その証言から、今まで見えてこなかった事件の裏側が浮き彫りになっていくのです・・・。

 

本書は、全て事件に直接、間接に関わった人物たちの証言で構成されています。第一章では従業員たちの衝動的な殺人が描かれ、第二章では事件に到った動機と背景が示され、第三章で容疑者たちの証言では見えてこなかった事実が明らかにされ、第四章で刑期が確定した受刑者の心境が語られています。

 

当初は、旅館の総支配人の経営や従業員への待遇に関する横暴なやり方と、誰にでも好かれる清楚な美人妻がいることへの嫉妬心から、怨みを買った挙句に殺害に至ったように見られます。ところが、第三章の参考人たちの供述から、徐々にそれまでと様相が異なる事実が浮かび上がり、今まで容疑者たちが語ってきた内容を覆す驚きが用意されます。

 

特に夷隅と妻の純子への印象は随分と変わってきます。リストラされた元従業員たちは、殺されても仕方のないクズと思われていた夷隅に関して、意外にも一定の評価をしており、逆に従業員たちから慕われた純子に対しては厳しい見方をしています。また、殺害に加わった従業員たちも一枚岩と言う訳ではなく、各人に温度差があります。大出、石和田、藤代が明確な殺意を抱いていたのに対し、花沢、石井、鐘崎は場の空気に流された感があります。

 

そして話が進むにつれ、従業員たちが受講した自己啓発セミナーが、彼らに多大な影響を及ぼしていたことも明白になります。この自己啓発セミナーに関しても、意識高い系の石井がのめり込むのに対し、ズボラな鐘崎が冷ややかな対応を見せるのも面白いです。殊に、セミナーの実態が暴かれると、頭が良さげで人を見下しがちな石井より、ダメ人間の鐘崎の判断が的を射ていたことが分かり、より一層愉快な気持ちになります。

 

本書は事件を通じて、格差社会、ブラック企業、貧困問題など、社会の様々な歪みが浮き彫りにされます。また、容疑者と参考人の証言から、物事を一面のみで見ることの危うさも教えられます。事件は巧妙に仕組まれており、黒幕は直接手を下さずとも、自分の欲しいものを手に入れます。だからこそ、鐘崎を除く受刑者たちの前向きな将来設計が空しく響くのです。この小説を読む限り、著者は相当意地の悪い性格の持ち主とお見受けしました(笑)。