ソフィーが自ら課す償いの訳は?「ソフィーの選択」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

 

製作:アメリカ

監督・脚本:アラン・J・パクラ

原作:ウィリアム・スタイロン

撮影:ネストール・アルメンドロス

美術:ジョージ・ジェンキンス

音楽:マーヴィン・ハムリッシュ

出演:メリル・ストリープ ケヴィン・クライン ピーター・マクニコル リタ・カリン

1983年10月15日公開

 

1947年、作家志望の青年スティンゴ(ピーター・マクニコル)は故郷を出て、ブルックリンにあるジンマーマン夫人(リタ・カリン)のアパートに住みます。入居直後、彼は階段で2人の男女が言い争っているのを目にします。その夜、くだんの女ソフィー(メリル・ストリープ)がスティンゴの部屋にやって来た際、彼はソフィーの腕に強制収容所の囚人番号の烙印が押されているのに気づきます。

 

翌朝、スティンゴはソフィーとネイサン(ケヴィン・クライン)に起こされ、コニー・アイランドの遊園地に遊びに出かけます。ネイサンは製剤会社ファイザーに勤めている生物学者で、渡米したソフィーが図書館で倒れたところを救い、今は一緒に住んでいました。スティンゴはネイサンの紹介で知り合ったレズリーに、筆おろしの相手をしてもらおうしますが、淫乱な評判とは裏腹に身持ちの固い女で閉口します。

 

失意のまま部屋に戻った彼を、ソフィーが寝酒に誘います。そして、彼女は父と夫がドイツ軍に拉致されて処刑されたこと、病気の母のため闇市でハムを買ったことがばれてアウシュヴィッツに送られたことを語ります。また、カソリック教徒であるにも関わらず、収容所からの解放後に、教会で自殺を図ったことも告白します。スティンゴがネイサンの部屋へ入ると、ナチス関連の本で溢れていることに驚きます。ユダヤ人であるネイサンは、ナチスの犯罪が許せず、その憎悪が部屋に満ちていました。

 

ある日、ネイサンはノーベル賞ものの研究が完成したと打ち明けます。ところが、その夜、彼はソフィーが雇い主と外出したことを責めたあげく、スティンゴの小説を青くさい自己憐憫とこき下ろします。翌日、ネイサンとソフィーがアパートからいなくなります。スティンゴは伝手を辿り、ポーランド時代にソフィーの父の講義を受けた教授から意外な事実を聞かされます。ソフィーの父はナチス信奉者だったというのです。

 

その夜、ネイサンは戻って来たソフィーを問いつめると、彼女は父、父の弟子であった夫が反ユダヤ主義者であったことを認めます。しかし、ナチスはそんなことはお構いなしに、父と夫を拉致し、彼女自身も息子ヤン、娘エヴァと一緒にアウシュヴィッツに送られたのだと語ります。やがて、ヤンは子供バラックに収容され、エヴァは抹殺され、ドイツ語を話せる彼女は収容所長ヘスの秘書に任命されます。ソフィーは病弱なヤンを救うため、ヘスに父親のナチス賞揚の論文を見せ、息子をドイツ人化計画に組み入れてくれと頼むものの、約束は果たされず、ヤンのその後は行方知れずに終ったと語り終えます。

 

ある日、スティンゴはネイサンの兄ラリーから、弟が精神疾患であり、研究者と称していることも、彼の妄想に過ぎないと聞かされます。その後、スティンゴはソフィーに求婚し、彼の故郷で一緒に暮らそうと話を持ち掛けます。そんな彼に、ソフィーは誰にも打ち明けていなかった秘密を告白するのです・・・。

 

冒頭において、作家志望のスティンゴが、ブルックリンの下宿に引っ越してきた直後、ソフィーの愁嘆場に遭遇します。ところが、翌朝になると昨晩のことはなかったかのように、ソフィーとネイサンがスティンゴを遊びに誘うのですから、主人公ならずとも戸惑いは隠せません。

 

しかも、三人で遊んでいる最中でも、始終二人がイチャイチャしているところ見せつけられるので、ソフィーに淡い恋心を抱いているスティンゴは、複雑な思いに駆られます。ネイサンがエキセントリックな性格の上に、気分が変わりやすく、自己中心的な行動を見せるのに対し、ソフィーは無条件に彼を受け入れ、あなたたしでは生きていけないという振る舞いを見せられるからです。

 

ある意味、互いの同意の上に、均衡が保たれている関係とも言え、その後に二人のそれぞれの過去が語られていくと、十分腑に落ちてきます。殊に、ソフィーの過去は凄絶で、収容所に入る前に究極の選択を迫られる場面を見せられると、収容所から解放された後も、自死を試みたソフィーの“償い”が痛いほど理解できます。

 

そうした経緯があるからこそ、ソフィーの頭の片隅に幸福になってはいけない思いがあり、現実を受け入れられないネイサンと呼応し、互いに離れられない関係になっているのかもしれませんね。したがって、話が終わりに近づくにつれ、いくらネイサンがソフィーに酷い扱いをしたところで、スティンゴが二人の間に入る余地は最初からなかったことも分かってきます。そう考えると、ソフィーとネイサンが安らかになれる方法は限られており、二人の結末も必然に思えます。