罪と罰の焦点がぼやけてしまった 「検察側の罪人」を観て | パンクフロイドのブログ

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検察側の罪人 公式サイト

 

 

チラシより

都内で発生した殺人事件。犯人は不明。事件を担当する検察官は、東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野(二宮和也)。最上は複数いる被疑者の中から、一人の男に狙いを定め、執拗に追い詰めていく。その男・松倉(酒向芳)は、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の重要参考人であった人物だ。最上を師と仰ぐ沖野は、被疑者に自白させるべく取り調べに力を入れるのだが、松倉は犯行を否認し続け、一向に手応えが得られない。やがて沖野は、最上の捜査方針に疑問を持ち始める。「最上さんは、松倉を、犯人に仕立て上げようとしているのではないか?」・・・。互いの正義を賭けて対立する二人の検事。彼らの戦いに、待ち受けていた決着とは――。

 

製作:東宝 ジェイ・ストーム

監督・脚本:原田眞人

原作:雫井脩介

撮影:柴主高秀

美術:福澤勝弘

音楽:富貴晴美 土屋玲子

出演:木村拓哉 二宮和也 吉高由里子 平岳大 大倉孝二 八嶋智人

        音尾琢真 大場泰正 谷田歩 酒向芳 矢島健一 キムラ緑子

        芦名星 山崎鉱菜 松重豊 山崎努

2018年8月24日公開

 

原作に対する改変の目立つ作品で、小説とは色合いの異なる映画に仕上がっています。原作では最上は家庭が上手く行かず、疲れた中年男の雰囲気を醸し出していました。それが映画では、高層マンションの暮らしぶりにギャップが生じる上に、原作も家庭生活の部分は余分に感じられたので、思い切って削る手もあったように思います。

 

木村拓哉は本作でも自身の色を出していて、最上のキャラクターに巧く嵌っていました。二宮和也も同様に原作のイメージに近く、使命に燃える若手検事を好演しています。ただし、松倉の取調べ中に声を荒げ、容疑者を精神的に追い詰める見せ場はあるものの、正義感があり繊細な心を持つ者が、一線を超えた取り調べを続けていくうちに、心が折れてゆく過程を見せるには、あまりにも時間が短すぎて消化不良の印象が残りました。

 

登場人物の中で一番改変が行なわれたのが、沖野を補佐する立会事務官の橘沙穂(吉高由里子)。彼女は訳アリの女性で、原作以上に重要な役割を果たしています。ほとんど笑いの起きないこの作品において、彼女が物語に深く関わっていなければ生じない笑いが起き、橘の特殊な設定が、沖野が検事を辞めた後にも彼に協力することに不自然さを感じさせないよう工夫されています。また、彼女の設定変更によって、最上に向けられる疑惑の過程が、時間短縮される効用も出ています。

 

個人的に嬉しかったのは、闇ブローカーの諏訪部の比重を大きくしてくれた事。沖野の腕が試される諏訪部の取調べを原作のまま再現してくれた上に、演じた松重豊も一筋縄では行かない曲者ぶりを如何なく発揮していました。また、最上との繋がりをより深めて描いたことによって、検事に対して色々と便宜を図る説得力も増しています。二人がインパール作戦に参戦した祖父がいたという共通項は若干無理がありますが、無謀な作戦によって味方を消耗させた点では、最上と重ね合わせられるものがあります。

 

最上が罠にかけようとする松倉は、原作では気弱な性格でありながら、刑事や検事の尋問にのらりくらりと躱しつつ、最後の一線を死守する狡猾さも見せる男に描かれていたのに対し、この映画ではサイコパスの面を強調しています。この違いは好みが分かれそうですが、予告編にもある“パッ!”と人を食った仕草が実にキャッチーで、沖野が彼の真似をして切り返すアイテムにもなっています。また、小説では釈放された松倉に気持ちの収まりどころのないモヤモヤした気分が味わわされましたが、映画ではある意味、スッキリした終わり方をしています。松倉の結末を匂わす伏線も、あらかじめ用意されていましたしね。

 

最上が一線を超えるきっかけとなる丹野和樹(平岳大)に関しては、色々なものを詰め込み過ぎた結果、ノイズとなってしまい、肝心の部分が霞んでしまった感があります。原田監督は今のご時世を考え、政治的メッセージを盛り込みたかったのでしょうが、正直それは別の映画でやってもらいたいですね。人権派の大物弁護士・白川を演じた山崎努はさすがの貫禄。でも、人権派の欲にまみれた胡散臭さをもっと見たかったです。

 

小説の映画化は、尺の関係上切り捨てなければならない部分と、作り手が新たに付け加えたい部分があり、その配分に頭を悩ます訳ですが、その割合が上手く機能すれば、映像の強みを駆使して原作以上のものを生み出せます。本作は橘の設定を大きく変更したことによって、思わぬ効果を発揮した反面、丹野の背景を原作にない設定を加えたことによって迷走し、法の精神を問うテーマが薄められた弊害も生じています。最上や松倉の結末を見ると、散々いじくった結果、原作にあった“罪と罰”の焦点がぼやけてしまったのが残念でなりません。